2012年11月29日木曜日

サンクスギビング風ディナー

先週のサンクスギビング。

去年はその日があったことすら忘れていて、仕事仲間と飲みまくり、へべれけで帰ったら、夫と家族がSkypeで会話中・・・という気まずーい出来事がありました。なので、今年はそれっぽくしようと決意。

とは言っても、木曜日は休みじゃないし、何より我が家の極小オーブンでは、ターキーはとてもじゃないけど焼けません!!というわけで、週末に、義母のレシピから夫の好物を作る、というちょっとだけ特別なディナーをしました(義母の特製レシピについてはこちら)。

例のごとく「KALDI」に出かけ、食材を仕入れて、作ったのはこちら。


パンプキンパイと、チキンとライスのキャセロールです。

パンプキンパイは、アメリカのパンプキンペーストを使っているので、とってもアメリカンな味(このパンプキンペーストの缶詰を、いつもKALDIで仕入れているのですねー)。スパイスがたっぷり入っていて甘すぎず、私も夫も大好きなレシピです。パイ生地の端の始末が何度やってもよくわからず、ちょっと不恰好ですが・・・味は◎でした。

チキンとライスのキャセロールは、夫のおばあちゃんのレシピ。ブラウンライスとほぐしたチキンにホワイトソースを混ぜ、上にアーモンドを乗せてオーブンで焼きます。ドリアに似ているかな。まだアメリカに住んでいたとき、おばあちゃんに何度も振舞ってもらった料理で、(ドリアに似ているので)懐かしくもあり、大好きな料理でした。

今回初挑戦して気付いたのですが、ホワイトソースだと思っていたもの、なんと「スープ缶」でした。レシピには、チキンかマッシュルームのクリームスープ缶を使う、と書いていたのです。家庭の味だと思っていたのに、意外と手抜き~。食べた感じだとホワイトソースなんだろうな、と思いつつも、勝手がわからなかったので、素直にスープ缶を探すことに。しかし、見つかったのは「クラムチャウダー」だけでした。確かに、チキンクリームスープの缶は、あまり見ないかも。

というわけで、普通のホワイトソースで代用して作ることにしました。

できたお味は・・・完全にドリアで、日本の味。。。うーん、スープ缶とホワイトソース、何が違うのだろうか。今度どこかでキャンベルの(じゃなくてもいいのですが、アメリカの)スープ缶を見つけたら、買って試してみたいです。

そんな感じで、アメリカのレシピで、ちょっとだけサンクスギビング風?なディナーでした。

いつかターキーも焼いてみたいのですが、日本の皆さんは一体どこであんな大きな物体を焼いているのでしょうか?夫はビルドインの大きなオーブンのある家が夢だ、とか言ってますが、日本じゃきっと、一生無理だよなー。

2012年11月19日月曜日

ハワイで結婚式(6)―ファーストダンスは揺れるだけ―

これまでのハワイの結婚式記録はこちら

アメリカのレセプションでは当然あるファーストダンス。面白そうと取り入れたまでは良かったのですが、そもそもファーストダンスってどんなダンス?なレベルでした。

にもかかわらず、直前までバタバタしていた私達は、ダンスについて全く準備せず。曲は決めたし(バンドに事前にリクエストする必要があったので)、なんとかなるでしょー、のままハワイに突入。実は、「練習しようね」と話してはいたのです。でも、日常の、普通のアパートの部屋で「さあ、ダンスしましょう」とか(私が)無理だった・・・。というわけで、夫の「揺れときゃいいのよ」の言葉を信じて、そのまま当日を迎えることに。

結果、「揺れときゃ良かった」です!

スピーチも無事に終わり、お酒もいい感じにまわっていたので、もうあとは雰囲気に任せてなんとでも、でした。実は、もともと伝えていた「somewhere in time」が、「somewhere out there」(私は好きなんですけど、夫がcheesyだと言ってファーストダンスには絶対に嫌がっていた曲)に間違えられそうに・・・というハプニングがあったのですが、これは始まる前に訂正してぎりぎりセーフ。

素敵な一日だったなー、なんて思い返しながら、夫に身を任せて、揺れていたら終わってました。色々考えていたことは全部吹っ飛んで、幸せな気持ちでダンス(≒揺れる)をしました。

ただしこれ、後日談が。
友達がファーストダンスの様子をビデオに撮影してくれたのですが、参列者、誰も見てない!ファーストダンスって別に見ないものですかね?父ですら、もぐもぐディナーに集中している・・・。いや、いいんですけどね、、、いいんですけどねー。。。

話を戻して、その後、夫と義母が、義母の好きな曲に合わせてダンス。アメリカ人のイメージに違わず超マザコンで、時に私をイラっとさせる夫ですが、このダンスは素敵だったなー。嬉しそうな義母が印象的でした。やって良かったです。(ちなみに、夫と義母は本当に絵になっており、参列者もちゃんと見ていました。やっぱり「揺れる」だけじゃだめなのか。)

このあと、参列者それぞれとおしゃべりをし、紹介などをしていたら、あっという間に2時間半が経っていました。準備していたことはすべてうまくいったし、盛り上がるかしら・・・の心配に反して、私と夫の家族も、和やかに話をしていました。お互い、私達が小さい頃のアルバムを持ってきてくれていて、思い出話などをしてくれていたみたいです。

こうして、結婚式の一日は終わりました。

夫とは結婚式について、「人生を振り返るときに、『こんなに素敵な一日があったね』と思い出せるようなものになればいいね」、と話をしていました。そしてこれは、その通りの一日になりました。これから先も、きっとぶつかることの多い二人ですが、この日誓った想いを忘れず、そして一緒に祝ってくれた人への感謝を忘れず、頑張って乗り越えていきたいです。今回の結婚式では、「何があってもこの人となんだ」という覚悟ができました!

とか言いながら、さっそくぶつかり合ったりしているので、これからは通常のブログに戻りまーす。※もう少し、結婚式準備やハワイの備忘録も書き足すかもしれませんが。

長々とお付き合いくださり、ありがとうございました。
レセプションの後は、ホテルのビーチバーにて飲みなおし♪
おわり

2012年11月11日日曜日

ハワイで結婚式(5)―通訳は花嫁―

これまでのハワイの結婚式記録はこちら

言葉の通じない2つの家族・・・
2年半前、日本で果たした初めての対面は、盛り上がりに欠けるちょっとしょっぱい思い出だったので、「いかにみんなが楽しめるレセプションにするか」というのが、最大の心配事でした。

色々考えて、流れはこんな感じ。
1)乾杯の挨拶&乾杯(私の父)
2)ケーキカット
3)夫の友人のスピーチ
4)私の友人のスピーチ
5)ファーストダンス
6)義母と息子のダンス
7)お開きの挨拶

司会はアメリカ人の友人にお願いし、挨拶やスピーチは英語と日本語の両方で行うことにしました。誰が通訳するか・・・私しかいません。自分の結婚式で、誰よりも長くマイクを握っていたのは、花嫁の私でした。

心配事その1、この通訳が、私はとても憂鬱で。平たく言えば、同時通訳できるほど英語力がないんです。

幸い、私の父はとてもマジメな人間で、乾杯の挨拶を事前に考えてメールをくれました。おかげで、時間をかけてじっくり英訳することができました。

また私の友人は、事前に「英訳が必要なので、興ざめで申し訳ないけど、大まかにスピーチの内容教えて」とお願いしたところ、「○○(私)向けてスピーチするのに、○○自身が通訳するとかあり得ないよー」と言い、「英語も頑張ってみるわ!」と自らバイリンガルでのスピーチを買って出てくれました。

で、夫の友人のスピーチ。キャラ的に、事前に準備するようなタイプではないなーと思っていたので、「どういうトピックで話すかだけ教えて」とお願いしてみました。しかし、待てど暮らせど返答なし(正確に言うと、「わかったー」とだけ言われて、その後返答なし)。というわけで、こちらは何も準備のないまま、本気の同時通訳でいくことになりました。

さらにさらに、司会をしてくれる友人とも全く打ち合わせの時間もなく。とりあえず、タイムラインは事前に送ったけど、到着は結婚式前日の夜だし、どうなるの??という感じでした。

実は、挙式後、ビーチで写真撮影というのがあったのですが、挙式が無事に終わったこともあって、私の気がかりはもはやその後のレセプション一色。ちゃんと通訳できるかしら、考えた段取りがうまくいくかしら、そんなことばかり考えていました。心配性の損な性格です。

こうして始まったレセプション。

直前に、やっと司会をしてくれる友人と打ち合わせができ、彼が思ったよりちゃんとしていた(失礼)ので、ここで一安心。進行は何とかなりそうです。

そして、私達が入場してまず、父の挨拶。挨拶は、2分ほどの短い(?)ものでしたが、その後私の通訳が入るので、長さは2倍。間延びしないかなー、なんて心配もしていたのですが、大丈夫でした。

というか、始まって初めて、私がいかに無駄なことを心配していたか、わかりました。

父の挨拶は、私がアメリカに行きたいと言ったところから、夫と出会い、結婚するにあたって、親としての心配と、それを乗り越える決心が語られていました。父が事前にメールをしてきたのは、「こういうことを話して、向こうの家族に失礼ではないだろうか」というところからだったのです。私は、夫との付き合いも、結婚も、反対されたことがなかったので、父のこの話を、驚きと感謝の気持ちで受け止めました。息子を日本に送り出した夫の家族も、少なからず父と同じ気持ちを抱えていたのでしょう。とても共感してくれたようでした。

一山越えた・・・の後は、笑顔で乾杯&ケーキカット。
しばらく食事を楽しんだ後、いよいよ友人のスピーチです。

まずは、夫の友人のスピーチ。・・・普通に、ぶっつけ本番で通訳できました!(なんじゃそりゃ。)
不思議なんですけど、すごく愛のあるスピーチで、すーっと自分の中に入ってきまして。自分の中に入ってきたら、後は日本語なので、口に出すだけ。ジョークの部分もちゃんと笑いを取れたかどうかは、緊張して覚えてないんですけど、愛のある思い出話は伝わっていたと思います。

そして、私の友人のスピーチ。彼女は、自分のスピーチを英訳し、読む練習までして臨んでくれました。私の仕事は、夫の友人のスピーチで終わっていたのですが、今度は彼女の努力が実るかどうかが気がかりに・・・。ですが、心配は無用でした。友人のスピーチも、それはそれは素晴らしくて。たぶん、すごく練習してくれたんだと思います。内容が伝わるという意味でも100%で、アメリカ側の参列者からも「スピーチ良かったねー」と言ってもらえました。何よりも、長い時間を一緒に過ごした友人が、大切な思い出話とお祝いの言葉をくれるなんて、それだけで感激でした。写真を見ると、また私、ガマン顔です(嬉しい日なので、絶対泣くまいと思っていました)。

こうして、心配事その1はクリアしました。

ここまで心配のタネを増やして、どうして挨拶やスピーチを入れたかったのか・・・終わってみて気付いたのですが、ここは私のこだわりでした。

普段、アメリカと日本で離れている私達夫婦の家族や友人。私は、それぞれの家族や友人に、私達がどういう人に囲まれて生きてきたのか、少しでも知ってもらいたかったのです。だから、友達にも家族にも、何か一言もらいたかったのだと思います。その想いが叶ったのかどうかはわかりませんが、私達にとっては、大切な宝物になりました。

さて次は、心配事その2、ダンスです。そろそろお気づきかと思いますが、私、本当に心配性なんです。普通なら、問題なく楽しめる計画だと思います。。。
ウェディングケーキ、本当はもっとthe Americanな凝ったものにしたかったのですが、予算の関係で断念(泣)。雰囲気を出すために、トッパーだけamazonで購入しました。結構お気に入りです♪
つづく

2012年11月6日火曜日

ハワイで結婚式(4)―誓いの言葉―

これまでのハワイの結婚式記録はこちら

そもそも入籍から3年以上も経って、それでも結婚式を行いたかった理由、それは、「教会で式を挙げたい」という夫の想いからでした。私から見ると、夫は敬虔なクリスチャンからは程遠いのですが、それでも、結婚という大切な儀式は、紙を提出するだけでなく、教会で行いたかったのでしょう。私が、お正月は初詣に行かなくちゃ、というのと似ているのかな・・・ちょっと違う?

教会での挙式は、たったの一時間。しかもその中で、前半はリハーサル、後半が本番、という段取り。アメリカの方には「信じられない」と言われてしまいそうなのですが、日本式だとこういうのもアリです。前日にリハーサルをすることもできるのですが、そうすると、料金が二倍と言われてしまったんですね。。。夫はこのあたりも特にこだわりはなかったらしく、じゃあ一回の段取りで良いです、となりました。

リハーサルと言っても、新郎新婦と介添人、参列者もみんな同席していますので、メンバーは本番と同じです。本番と違うのは、写真を撮ってもいいですよー、というくらい。※でもリハーサル中、色々な人に写真を撮ってもらえて、後で結構嬉しかったです。

リハーサルでは、最初から最後まで段取りを流すので、誓いの言葉や指輪の交換(のフリ)も行います。神父さんは日本語と英語のバイリンガルですが、お茶目な方で、日本語と英語を言い間違えたり、キスを促すのを忘れたり、終始笑いの絶えない雰囲気で行われました。

後で聞いてわかったのですが、夫の祖母は、これがリハーサルだとは思わなかったらしく、「なんて適当な神父さんなの!さすが○○派ね。」と(もちろん自虐的な意味ですが)冗談を言っていたそう。あんな笑ってばかりの本番だったら、私もちょっと嫌です。。。

そして、本番。
式は、教会のシンガーの歌から始まりました。

私、この時点から涙をこらえるのに必死でした。なんと言うか、この三年半の苦労が思い出されて、やっとここまでたどり着いたなーという、感動がしみじみと。

さらに、バージンロードを歩くとき、父が小さく「良かったな。」と言ってくれて。両親にはいつも心配をかけていて(そりゃあ、娘が国際結婚して、さらに夫が無職となればね・・・)、申し訳ない気持ちでいっぱいだったので、「こちらこそ、いつも支えてくれてありがとう」と言いたかったのですが、「うん。」と言うのが精一杯。これ以上何か言うと泣いてしまう。

そして、夫の前に立ち、誓いの言葉を聞いたとき。

聞き慣れたフレーズではありました。でも本当に意味を感じました。ここで夫から聞き、自分も述べたこれらの言葉を、これからも一生忘れないでおこうと、心に決めました。

結婚式は、普通は結婚するときにするものですが、今までの生活がなかったら、きっとこんなに真摯に言葉を受け止められなかっただろうと思います。そういう意味では、3年越しの結婚式も悪くなかったなー、と思いました。
こうして、あっという間に結婚式は終わりました。文字通り、あっという間でしたが、とても大切な時間になりました。

さて、このあとはいよいよ、ずーっとずーっと悩みの種だったレセプションです。

おまけ:
感動的な式だったのですが、上記のように、私、ずっと涙をこらえていたのです。
おかげさまで出来上がってきた写真・・・到底大人がしないような、まゆ毛八の字のガマン顔。全部ですよ、全部!素直に涙を流しておけば良かったです(泣)。

つづく