2012年3月31日土曜日

空耳アワー

久しぶりにディナーに行こうと思い、夫にレストランをリサーチしてもらっていたところ、夫が面白い表現を見つけてきました。

夫が見ていたのは、日本のレストランが紹介されている外国人用のサイト。表記は英語です。そして、あるレストランの地図の横に書いてあったフレーズが、これ。

Cheese no arc eye mark no restaurant on egg ice she must.

声に出して読んでみてください。ある「日本語のフレーズ」なんですけど、わかりますか?私は、最初夫に「これ見てー。」と言われたとき、「チーズの・・・何??」となってしまったんですけど。

正解は・・・

2012年3月28日水曜日

結婚制度のギモン

夫の収入が(低いながらも)安定してきたので、そろそろ結婚式をしようか、と思っています。

日本の生活が落ち着いてから結婚式をしようと思っていた私達。結局入籍から3年も経ってしまいましたが、やっぱり「人生の節目として式を挙げておきたい」と思うのと、夫家族の宗教的理由(教会で式を挙げて欲しい)からです。

今のところ、挙式の候補地のナンバー1は、ハワイ。高校生の時から私の憧れの場所だったことに加えて、何の縁かアメリカ人と結婚・・・日本とアメリカ本土のちょうど真ん中!ってことで、都合がいいのです。そういうわけで、雑誌やネットで色々と調べ始めたのですが、、、ふと結婚制度について、素朴な疑問が沸いてきました。

その疑問とは、「日本での婚姻(ビザの申請したことない人)は、どういう風にアメリカで認定されているの?」というもの。

そもそもは、夫が「ハワイでマリッジライセンスを取得しなきゃ」と言ってきたことでした。
私はすかさず、「マリッジライセンスなんて必要ないよ。日本での婚姻はアメリカでも認められるんだから(ここは、結婚するときに調べました)。アメリカでも法的に結婚したら、2回結婚することになっちゃう。」と返答。夫は、「そうなんだー。」とすぐに納得しました。

が、ここで疑問が。

日本で結婚し、日本に住んでいる私達。私はビザの申請もしていないため、アメリカ大使館に婚姻証明を提出したことがありません。こういう場合、夫がマリッジライセンスをアメリカで取得しようとしたら(ひいては結婚手続きまで)、できるんじゃないの?と。

私達が、積極的にアメリカの行政に婚姻証明をしない限り、アメリカで私達が結婚しているという情報はどこにもないような気がします。ということは、日本で結婚しながら、アメリカで他の人と結婚することが可能・・・?まさかねぇ。それとも、アメリカ大使館から婚姻要件具備証明書を取得したことで何かわかるようになっているのか、、、よくわかりません。

幸い、夫がアメリカで他の人と結婚したいわけでもないので、とりあえず私達はハワイでリーガルウェディングは必要ないってことで話をしているんですけど、この疑問の真相や、いかに。

蛇足ですが、リーガルウェディングでなくても、宗教的に「教会で式を挙げる」意味を成すのかどうかについても、少し心配しています。私は特定の信仰宗教がないので、こういう話に疎いのです。

ハワイは日本人に人気のウェディングスポットなので、宗派でない人にも結婚式をさせてくれる教会が多いようですが、「blessing」と呼ばれるお祝いの儀式で、法的な結婚式ではないようです。日本で入籍済みの私達も、おそらくそういう形式で行うことになると思うのですが、それが夫の家族の納得してくれるものだといいのですが。特に夫の祖母にとって、宗派の教会で式を挙げることが大事なようなので、気になります。

※結果的に法的な内容も含んでしまいましたが、私の素朴な疑問(答えは不明)について書いていますので、内容の正確さに責任は持てません。すみませんが、必要な情報は御自身で調べていただきますよう、お願いいたしますm(_ _)m

2012年3月20日火曜日

ジャンケン

私の夫は、英語の先生のアルバイトをしています。

生徒さんは、幼稚園から小学校までの小さな子供達。普段私達は、子供達と触れ合うことはない環境なので、色々と発見があるらしく、驚いたことなどをよく報告してくれます。

その中で面白かったのが、ジャンケンに関する子供達の態度の違い。

子供ですので、おもちゃや遊ぶ順番など、しょっちゅうケンカになるらしく、そこで万能なのが、「ジャンケン」だそうです。「ジャンケンをして決めると、驚くことに、みんな素直に結果に従うんだよねー。何でもジャンケンで決めちゃうよ。」と夫。

聞くとアメリカでは(少なくとも夫の経験では)、ジャンケンをして結果が出ても、そのあとも「でもでも」と自己主張が始まり、結果を素直に受け入れないそうです。だからジャンケンは、決して万能ではない。でも夫の学校の生徒さんは、ジャンケンで一度結果が出ると、みんなそれを受け入れて、ケンカが収まるのだとか。

確かに日本人って、「運命をありのままに受け入れる」という考えが、少なからず根本にある気がします(宗教や文化的な要因が関係しているのかな)。また、「責任の所在を明らかにしないことによって、全員が幸せになる」というのもよくあるパターンな気がします。このどちらも満たしているのが、実はジャンケンですよね。まぁ、そこまで大げさには考えないにしても、最終的に「ジャンケンで決めようぜ」というのは、大人になってからもよくあることです。

でも確かに、私と夫は、小さなことでもジャンケンで決めたことはないかもしれません。なんでも話し合いになってしまう。。。これは相手がアメリカ人だからではなく、夫婦だからかもしれませんが。

それにしても、夫の話を聞いて、こんなに小さな子供のときから、そういう(お国柄の?)違いが出るのって、面白いなーと思いました。

私は、もともと議論や衝突を避けたい性質があるため、アメリカでも、夫と話していても、意識して自己主張をしなければならず、とっても苦労します。もし、環境次第で「自然に自己主張」できる性格になれるんだったら、そうなりたかったなー、なんて。

2012年3月15日木曜日

一年。(2)

前回の続きです。前回の記事はこちら

私達はそれまで、何でも納得するまで話し合って解決してきました。育った環境が全く違う夫と結婚できると思ったのは、夫が、話し合いのできる相手だったからです。

しかし、この一連の出来事で、お互いが極限状態では、私達は冷静に話し合うこともできないし、それでいて、言わなくてもわかるほど通じてもいない、ということがわかりました。夫はやはり外国人で、信じるものや根底に流れているものが違うのだ、と思い知らされました。

夫の気持ちを理解して、すぐにでもアメリカに行けばよかったのかもしれません。でも、私にはそれができませんでした。夫には、「君は人生の優先順位を間違っている。命と社会的体裁とどちらが大切なんだ」と責められました。私が守りたかったのは社会的体裁だったのでしょうか。。。そう言われればそうなのかもしれません。でもあの時、自分だけ騒ぐのは何か違う気がしたし、自分なりに情報を集めて、自分の判断をしていました。それを、仕事人間と一言で片付けてしまった夫とは、感情的かもしれませんが、話はできないと思いました。

家に帰って夫と話すより、会社の同僚と不安に思うことを話す方がよっぽど気が休まるし、自分の考えが整理できました。その事実が、なんだかとても悲しかったです。

私の実家に帰った後も、夫ときちんと話し合うことはありませんでした。私は、結局パニックになった夫に押し切られた形で事が進んだことが納得できなかったし、夫は夫で思うところがあったのだと思います。それでも何度か話そうと試みましたが、結局お互い感情的になって、決裂しました。

こうして、私達の間では、震災、特に原発の話はタブーになりました。

もちろん、大切なことですので、お互い関心を持っています。ですが、二人で話し合って方向性を合わせようということができなくなりました。お互い個々人で考え、信じる道を進んでいくという感じです。そしてその道は、交われば交わるし、違えば平行線のままです。時々話には上りますが、お互い深い話はしないようにしている感じです。

本当は、理性を失うような重大な出来事の下でこそ、話し合って同じ方向を向いていける夫婦になりたいのです。でも私達はそうではありませんでした。結局、分かり合えなかったことを見なかったフリをして、今に至っています。

私が、夫にわかってもらいたかったのはなんだったのだろう、と考えると、今でもよくわかりません。それは、論理的でない国民感情なのかもしれません。そうだとすれば、きっと夫には一生わからないと思います。

震災から一年、様々な報道で改めて震災のことを考える日々でしたが、横で同じものを見聞きしているはずの夫とは、(この件に関しては)今でもどうしても距離を感じずにはいられません。

2012年3月14日水曜日

一年。(1)

あの震災から一年が経ちました。

震災について書くのは、迷いがあります。私は首都圏にいたものの、大きな被害はありませんでしたし、家族も被災地から遠く離れていて無事でした。あの日を境にすべてが変わってしまった人々に比べたら、つらいとは言えないからです。

ただ、個人的な目線で見ると、この震災は私にとって大きな出来事でした。外国人の夫のそばで、答えのない問題を突きつけられて、とてもつらかったのです。正直、今でも気持ちの整理はついていません。でも当時、同じように国際結婚をされている方のブログを読んで、「自分だけではなかった」と救われた気持ちになったことと、またこの先、いつか自分の気持ちの整理がつくことを願って、今思うことを書いておこうと思います。

※被災された方々への想いは、記事とは別に私の中にあるので、敢えて触れません。ここは自己中心的な内容になってしまいますが、趣旨をご理解いただければと思います。

地震が起きた当初、夫は初めての経験に戸惑っていたものの、とても冷静でした。当日こそお互い家には帰れませんでしたが(地震が起こったのは金曜日でした)、週末は「気持ちを落ち着けて、頑張って行こうね」というような話をしたのを覚えています。

風向きが怪しくなったのは、週が明けてからです。原発のニュースが、報道されるようになりました。

夫は、当時日本語学校に行っていましたが、地震により休校となり、ずっと家にいました。一方で私は、会社が休みになることはなく、通常通り出勤していました。

毎日家に一人で、することもなかった夫は、様々なニュースを読み漁っていたのだと思います。日が経つにつれて、ここに留まる不安を口にするようになりました。夫の友達はほとんどが帰国し、アメリカ大使館も日本に残ることへの注意を促していました。

私は、夫の不安を無視したわけではありません。ただ、自分も言いようのない不安に襲われて、夫の話を聞く余裕がありませんでした。夫の話は余計な不安を煽るような内容にしか聞こえませんでしたし、私は夫に、もっと気持ちを落ち着けてくれるような、そんな言葉を発してくれるのを期待していたのだと思います。

毎日言い争いでした。でも結局、お互いどこか踏み込めず、不安な気持ちを消化しきれないまま、まともな話し合いにはなりませんでした。

実は私たち、その次の週に一週間休暇を取って外国に行く予定でした。ですので、原発のことがあって、毎日ケンカ状態でも、「この一週間さえ乗り切ればなんとかなる」という思いが(少なくとも私の中には)ありました。

しかし、夫は木曜日に爆発しました。私が家に帰ると、「もうここにはいられない!」とパニック状態になっていました。私がこんな状態で仕事に行っているのを「バカな仕事人間だ」となじり、日本人はバカだとののしり、とにかく色々、否定されました。

私は正直、身の危険を感じました。そして、とりあえずここから離れないと夫はおさまらないと思いました。そして、金曜日に会社を早退し、私の両親の家に行くことを決めました。そのあと、土曜日に乗るはずだった飛行機とホテルをキャンセルしました。

それを決めて夫は落ち着きましたが、私にはなんとも言えない悲しい気持ちが、残りました。

長くなったので、(2)へ続きます。

2012年3月4日日曜日

東京マラソン2012

先週の日曜日は、東京マラソンでした。実は夫が、今年の東京マラソンを走ったのです!

中高時代は陸上部で、今でも走るのが好きな夫。2日に一度のランニングが習慣です。ちなみに、私もうっかり一緒にランニングをしようものなら、悲劇が起きます。。。(詳しくは、こちら。)

そういうわけで、来日してからずっと、「東京マラソンを走ってみたいなー」と言っていました。

しかし、東京マラソンは知っての通り、大人気のマラソン。参加は抽選で、その倍率は実に10倍以上(らしい)。一昨年初めて応募したときは、当たり前のように抽選に漏れました。でも、今年は当選したのです。

抽選に漏れた一昨年、当たらなかったことを人に話して言われたのが、「アメリカ(外国)の住所を書けば当たるよ」ということ。私は、「いやいや、厳選な抽選のはず。外国人枠なんてないでしょ」と半信半疑でした。しかし、複数の人に同じ事を言われたため、夫はすっかりその気で、昨年はアメリカの住所で応募しました。

で、結果、、、、当選!!うそーーん。

というわけで、念願の東京マラソンに参加できることとあいなりました。

普段走っているとは言っても、4-5キロですので、フルマラソンは未知の世界。普通ならしっかりトレーニングを積むべきなのでしょうが、なんやかんやで十分な練習はしないまま(いつもどおりのランニングのみ)、当日を迎えてしまいました。

新宿の受付で夫を見送ったあと、私は応援のため、コースをチェック。そこで初めてコースを見てびっくり。42キロってすごく長いのね。新宿から東京・銀座を通って浅草、豊洲を通ってゴールは東京ビックサイト。普段なら、電車で行ってもかなり遠い距離です。改めて夫が心配になる私。。。

応援専門の私は、とりあえずはスタート直後の地点で待ち、その後15キロ地点、35キロ地点、ゴール地点、と移動することにしました。スタート直後は人の山で(35000人以上いたみたいです)、夫を見つけるのは至難の業だったのですが、奇跡的に見つけて、大声で声をかけました。

そして結果ですが、、、、無事完走しました!!

15キロ地点では、まだまだ力強く走っていた夫も、35キロ地点ではなかなか現れず、待っていたら遠くからとぼとぼ歩いてやってきました。25キロで力尽き、全く走れなくなってしまったみたいです。実は、私の父もマラソンが趣味で、「35キロぐらいが一番しんどいんやー」と言っていたので、ぜひそのあたりの応援に行きたかったのです。が、35キロにたどり着く前にガス欠になってしまったみたいで。まあ、初めてだし、ペース配分を誤ったのでしょう。

ちなみに、ラストの1キロは力を振り絞って走ったらしいのですが、今度は私のほうが(人が多すぎて)間に合わず、ゴール地点に着いたときは、すでに夫はゴール済みでした。応援する方も練習が必要でした。。。

さらに、私の応援以外のミッションに「写真を撮る」というのがあったのですが、こちらも見事に失敗。応援で声をかけるのに必死になり、タイミングを逃したのがほとんどで、全く残念な写真になってしまいました。ゴール地点には、たくさんのカメラがいたので、どこかでよい写真が買えることを祈ります。。。

何はともあれ、夫を始め、走る選手達の爽快な笑顔を見て、私も元気をもらえた良い一日でした!!