2012年3月14日水曜日

一年。(1)

あの震災から一年が経ちました。

震災について書くのは、迷いがあります。私は首都圏にいたものの、大きな被害はありませんでしたし、家族も被災地から遠く離れていて無事でした。あの日を境にすべてが変わってしまった人々に比べたら、つらいとは言えないからです。

ただ、個人的な目線で見ると、この震災は私にとって大きな出来事でした。外国人の夫のそばで、答えのない問題を突きつけられて、とてもつらかったのです。正直、今でも気持ちの整理はついていません。でも当時、同じように国際結婚をされている方のブログを読んで、「自分だけではなかった」と救われた気持ちになったことと、またこの先、いつか自分の気持ちの整理がつくことを願って、今思うことを書いておこうと思います。

※被災された方々への想いは、記事とは別に私の中にあるので、敢えて触れません。ここは自己中心的な内容になってしまいますが、趣旨をご理解いただければと思います。

地震が起きた当初、夫は初めての経験に戸惑っていたものの、とても冷静でした。当日こそお互い家には帰れませんでしたが(地震が起こったのは金曜日でした)、週末は「気持ちを落ち着けて、頑張って行こうね」というような話をしたのを覚えています。

風向きが怪しくなったのは、週が明けてからです。原発のニュースが、報道されるようになりました。

夫は、当時日本語学校に行っていましたが、地震により休校となり、ずっと家にいました。一方で私は、会社が休みになることはなく、通常通り出勤していました。

毎日家に一人で、することもなかった夫は、様々なニュースを読み漁っていたのだと思います。日が経つにつれて、ここに留まる不安を口にするようになりました。夫の友達はほとんどが帰国し、アメリカ大使館も日本に残ることへの注意を促していました。

私は、夫の不安を無視したわけではありません。ただ、自分も言いようのない不安に襲われて、夫の話を聞く余裕がありませんでした。夫の話は余計な不安を煽るような内容にしか聞こえませんでしたし、私は夫に、もっと気持ちを落ち着けてくれるような、そんな言葉を発してくれるのを期待していたのだと思います。

毎日言い争いでした。でも結局、お互いどこか踏み込めず、不安な気持ちを消化しきれないまま、まともな話し合いにはなりませんでした。

実は私たち、その次の週に一週間休暇を取って外国に行く予定でした。ですので、原発のことがあって、毎日ケンカ状態でも、「この一週間さえ乗り切ればなんとかなる」という思いが(少なくとも私の中には)ありました。

しかし、夫は木曜日に爆発しました。私が家に帰ると、「もうここにはいられない!」とパニック状態になっていました。私がこんな状態で仕事に行っているのを「バカな仕事人間だ」となじり、日本人はバカだとののしり、とにかく色々、否定されました。

私は正直、身の危険を感じました。そして、とりあえずここから離れないと夫はおさまらないと思いました。そして、金曜日に会社を早退し、私の両親の家に行くことを決めました。そのあと、土曜日に乗るはずだった飛行機とホテルをキャンセルしました。

それを決めて夫は落ち着きましたが、私にはなんとも言えない悲しい気持ちが、残りました。

長くなったので、(2)へ続きます。

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