2012年3月15日木曜日

一年。(2)

前回の続きです。前回の記事はこちら

私達はそれまで、何でも納得するまで話し合って解決してきました。育った環境が全く違う夫と結婚できると思ったのは、夫が、話し合いのできる相手だったからです。

しかし、この一連の出来事で、お互いが極限状態では、私達は冷静に話し合うこともできないし、それでいて、言わなくてもわかるほど通じてもいない、ということがわかりました。夫はやはり外国人で、信じるものや根底に流れているものが違うのだ、と思い知らされました。

夫の気持ちを理解して、すぐにでもアメリカに行けばよかったのかもしれません。でも、私にはそれができませんでした。夫には、「君は人生の優先順位を間違っている。命と社会的体裁とどちらが大切なんだ」と責められました。私が守りたかったのは社会的体裁だったのでしょうか。。。そう言われればそうなのかもしれません。でもあの時、自分だけ騒ぐのは何か違う気がしたし、自分なりに情報を集めて、自分の判断をしていました。それを、仕事人間と一言で片付けてしまった夫とは、感情的かもしれませんが、話はできないと思いました。

家に帰って夫と話すより、会社の同僚と不安に思うことを話す方がよっぽど気が休まるし、自分の考えが整理できました。その事実が、なんだかとても悲しかったです。

私の実家に帰った後も、夫ときちんと話し合うことはありませんでした。私は、結局パニックになった夫に押し切られた形で事が進んだことが納得できなかったし、夫は夫で思うところがあったのだと思います。それでも何度か話そうと試みましたが、結局お互い感情的になって、決裂しました。

こうして、私達の間では、震災、特に原発の話はタブーになりました。

もちろん、大切なことですので、お互い関心を持っています。ですが、二人で話し合って方向性を合わせようということができなくなりました。お互い個々人で考え、信じる道を進んでいくという感じです。そしてその道は、交われば交わるし、違えば平行線のままです。時々話には上りますが、お互い深い話はしないようにしている感じです。

本当は、理性を失うような重大な出来事の下でこそ、話し合って同じ方向を向いていける夫婦になりたいのです。でも私達はそうではありませんでした。結局、分かり合えなかったことを見なかったフリをして、今に至っています。

私が、夫にわかってもらいたかったのはなんだったのだろう、と考えると、今でもよくわかりません。それは、論理的でない国民感情なのかもしれません。そうだとすれば、きっと夫には一生わからないと思います。

震災から一年、様々な報道で改めて震災のことを考える日々でしたが、横で同じものを見聞きしているはずの夫とは、(この件に関しては)今でもどうしても距離を感じずにはいられません。

4 件のコメント:

海豹 さんのコメント...

なんだか、考えさせられました。いろいろな状況や環境で大きく変わりますが、東京に住む私たちにも影響はありました。外国人のパートナーがいるということは、相手の国へ一時的に行くという選択もありますよね。家は幸い二人の職場の対応が同じで、しばらく避難することができたのです。私は東京にいるつもりでしたが、火曜に夫が早く帰宅し、強い要望からその日のうちに関西にある私の実家に避難しました。正直、押し切られる形で行ったんですが、どちらかの職場の対応など、少しでも状況が違っていたら、同じ選択をしたかどうかはわかりません。

かいばしら さんのコメント...

海豹さん

コメントありがとうございます。

外資系の企業などは割と早くお休みになりましたよね。私も、自分の会社が休みになっていればここまで揉めなくて済んだかもしれません。アメリカに行く気はなかったのですが、私の実家には帰れる状況だったので。結局、開けてはいけないパンドラの箱を開けてしまった感じです。

でも気づいてしまった違いだから、うまく消化して乗り越えていくのか、一生気づかなかったフリをするのか、どちらかしかないのかなーと思います。難しいですね。。

sushiwasabi さんのコメント...

我が家もほぼ同じ状況でした!まるで我が家のことを書いてあるかのようでドキッとしました(笑)原発の理由で私の実家に避難しましたし、意見の衝突もありました。私は3月末に離職予定だったのでどうしても書類を仕上げたかったのですが、旦那に「仕事が大事か!?」と責められました。危機の際に何がプライオリティーなのか考えさせられました。
今思い返しても、衝突は本当に辛かったです。我が家はこのことで絆が強まった気がします。

かいばしら さんのコメント...

sushiwasabiさん

コメントありがとうございます。

やっぱり外国人のパートナーがいる皆さんは、外に言う言うわないに関わらず、多少の衝突はあったのでしょうね。それに、危機の時って、相手の言うことを理解しようという余裕をお互い持てなくて、それでいて自分の気持ちは理解して欲しいという気持ちが先に立ったりで、話し合いもなかなか難しかったです。

私もいつか、sushiwasabiさんご夫婦のように、辛かったけれど絆が深まったと振り返ることができる時が来ればよいのですが。。。残念ながら、あのときの話はまだタブーな状態です(悲)いつか、いつかですね。