2012年12月31日月曜日

クリスマスツリー2012

holiday気分が終わらないうちに、クリスマスツリーのことも。

昨年、夫の実家に帰省して「ツリーは素敵だ」と思った私は、「来年はツリーを買うぞ!」なんてことを言っていたのですが(昔の記事→ツリーを買おう)、有限実行、今年はツリーを買いました!

実際の購入までは、一悶着も二悶着もありました。

まずは、購入場所。最初は近くのお店で探していたのですが、夫が「どうも違う」と言うので、アメリカのamazonで探すことに。通販で買ったら余計わからないんじゃないのー?と、納得のいかない私でしたが、ここは夫に任せることに。
※ちなみに、調べるうちに、IKEAの生木が良さそうじゃない!ということになったんですが、あっという間に売り切れていました。すごい人気なんですね。

次に大きさ。本当は2メートルくらいの大きなサイズが欲しかったのですが、飾る時はともかく、クリスマスが終わったら、この小さい部屋のどこにしまうのよ…ということで、大きさは泣く泣く90センチの小ぶりサイズになりました。

さらに購入したお店では、海外発送はしていないということで、一度夫の実家に配送して、義両親から日本へ送ってもらうことに…。20ドルそこらのツリーなのに、えらく高くつきました。

というわけで、はるばるフロリダから、実家を経由してやってきたツリー。夫のこだわりの甲斐あってか、小ぶりでもなかなか形のいいモノがやって来ました。

でもタグに思いっきりmade in Chinaって書いてあったけどね。。。

ライトは日本で購入し、昨年から集めだしたオーナメントと、ツリー大好きな義母が改めて送ってくれた大量のオーナメントを飾って…できたのが写真です☆

ほぼ義母にもらったオーナメントなので、まるで実家のクリスマスツリーのミニチュア版!小さいけれど実家のと同じように温かみがあって、癒されます。やっぱり買って良かったなー。

ライトの点灯と消灯は夫の仕事なのですが、スイッチ式でないため、いちいちコンセントを抜き差ししなければならず、面倒なんです。にも関わらず、夫、朝起きたら点灯、出かける前と寝る前には消灯、とまぁマメに働くこと。家事は頼まないとしてくれないのに、やればできるじゃん、と複雑な気持ちになりました。

クリスマスぎりぎりに飾り始めたので、我が家ではまだライト点滅中。。。このまま年を越すことになりそうです。

みなさまも良いお年を!

2012年12月26日水曜日

クリスマス≠チキン

お久しぶりです。
最近、イベント時にしか書いていませんね。もっと色々書きたいこともあるのですが、モヤモヤしてまとまらず・・・今回も、お決まりのクリスマスの話でごめんなさい。

24日は、我が家でクリスマスディナーを作りました。
結婚して3回目のクリスマスですが、1回目はレストランディナー(間違えて無職夫が3万円もするワインを頼んでしまうというハプニング!)、2回目はアメリカに帰省で義両親宅ディナー、というわけで、お家ディナーは実は初めて。

メインディッシュは何にしようかと話していて、夫は牛肉を食べませんので(詳しくはこちら)、「じゃあチキンだね」と私が言うと、「ちがーう!!」と一蹴。

「実は前から思っていたんだけど、なんで日本のクリスマスはKFCなの?」と真顔で聞かれました。

「ケンタッキーはマーケティング戦略だとしても、クリスマスにチキンを食べる家もあるでしょう?」と聞くと、「ない」と断言する夫。確かに、アメリカでのクリスマスディナーは、だいたいハムとターキーでした。チキンの習慣は欧米からの輸入だと勝手に思っていたのですが、どうやら違う模様。。。

んじゃ、クリスマスにチキンって、やっぱりKFCから始まったの?!と謎は尽きず・・・調べてみるとありました!しかもKFCのHPに。
ケンタッキーフライドチキン|「Q&A」よくあるお問い合わせ

これによると、「クリスマスにチキン」はやっぱりKFCが発祥で、きっかけは「クリスマスにターキー食べたかったけど見つけられなくて仕方ないからKFCに行った外国人」みたいです。本当かな?

そんなこんなで、クリスマスディナーは結局チキン!ケンタッキー・・・ではなくて、自分で焼きました。スーパーにも骨付きやら丸鳥やら、普段はないお肉が並んでいて、選り取り見取りでしたよ!クリスマス=チキンって、やっぱり日本ではすごく浸透している。すごいなケンタッキー。

何はともあれ、オーブンで焼いた鳥は、なぜか義母の料理を彷彿とさせたようで、夫から「クリスマスでなくてもチキンが食べたい(てかもともとクリスマス料理じゃないし)」と、もっともなリクエストを頂いたのでした。

2012年11月29日木曜日

サンクスギビング風ディナー

先週のサンクスギビング。

去年はその日があったことすら忘れていて、仕事仲間と飲みまくり、へべれけで帰ったら、夫と家族がSkypeで会話中・・・という気まずーい出来事がありました。なので、今年はそれっぽくしようと決意。

とは言っても、木曜日は休みじゃないし、何より我が家の極小オーブンでは、ターキーはとてもじゃないけど焼けません!!というわけで、週末に、義母のレシピから夫の好物を作る、というちょっとだけ特別なディナーをしました(義母の特製レシピについてはこちら)。

例のごとく「KALDI」に出かけ、食材を仕入れて、作ったのはこちら。


パンプキンパイと、チキンとライスのキャセロールです。

パンプキンパイは、アメリカのパンプキンペーストを使っているので、とってもアメリカンな味(このパンプキンペーストの缶詰を、いつもKALDIで仕入れているのですねー)。スパイスがたっぷり入っていて甘すぎず、私も夫も大好きなレシピです。パイ生地の端の始末が何度やってもよくわからず、ちょっと不恰好ですが・・・味は◎でした。

チキンとライスのキャセロールは、夫のおばあちゃんのレシピ。ブラウンライスとほぐしたチキンにホワイトソースを混ぜ、上にアーモンドを乗せてオーブンで焼きます。ドリアに似ているかな。まだアメリカに住んでいたとき、おばあちゃんに何度も振舞ってもらった料理で、(ドリアに似ているので)懐かしくもあり、大好きな料理でした。

今回初挑戦して気付いたのですが、ホワイトソースだと思っていたもの、なんと「スープ缶」でした。レシピには、チキンかマッシュルームのクリームスープ缶を使う、と書いていたのです。家庭の味だと思っていたのに、意外と手抜き~。食べた感じだとホワイトソースなんだろうな、と思いつつも、勝手がわからなかったので、素直にスープ缶を探すことに。しかし、見つかったのは「クラムチャウダー」だけでした。確かに、チキンクリームスープの缶は、あまり見ないかも。

というわけで、普通のホワイトソースで代用して作ることにしました。

できたお味は・・・完全にドリアで、日本の味。。。うーん、スープ缶とホワイトソース、何が違うのだろうか。今度どこかでキャンベルの(じゃなくてもいいのですが、アメリカの)スープ缶を見つけたら、買って試してみたいです。

そんな感じで、アメリカのレシピで、ちょっとだけサンクスギビング風?なディナーでした。

いつかターキーも焼いてみたいのですが、日本の皆さんは一体どこであんな大きな物体を焼いているのでしょうか?夫はビルドインの大きなオーブンのある家が夢だ、とか言ってますが、日本じゃきっと、一生無理だよなー。

2012年11月19日月曜日

ハワイで結婚式(6)―ファーストダンスは揺れるだけ―

これまでのハワイの結婚式記録はこちら

アメリカのレセプションでは当然あるファーストダンス。面白そうと取り入れたまでは良かったのですが、そもそもファーストダンスってどんなダンス?なレベルでした。

にもかかわらず、直前までバタバタしていた私達は、ダンスについて全く準備せず。曲は決めたし(バンドに事前にリクエストする必要があったので)、なんとかなるでしょー、のままハワイに突入。実は、「練習しようね」と話してはいたのです。でも、日常の、普通のアパートの部屋で「さあ、ダンスしましょう」とか(私が)無理だった・・・。というわけで、夫の「揺れときゃいいのよ」の言葉を信じて、そのまま当日を迎えることに。

結果、「揺れときゃ良かった」です!

スピーチも無事に終わり、お酒もいい感じにまわっていたので、もうあとは雰囲気に任せてなんとでも、でした。実は、もともと伝えていた「somewhere in time」が、「somewhere out there」(私は好きなんですけど、夫がcheesyだと言ってファーストダンスには絶対に嫌がっていた曲)に間違えられそうに・・・というハプニングがあったのですが、これは始まる前に訂正してぎりぎりセーフ。

素敵な一日だったなー、なんて思い返しながら、夫に身を任せて、揺れていたら終わってました。色々考えていたことは全部吹っ飛んで、幸せな気持ちでダンス(≒揺れる)をしました。

ただしこれ、後日談が。
友達がファーストダンスの様子をビデオに撮影してくれたのですが、参列者、誰も見てない!ファーストダンスって別に見ないものですかね?父ですら、もぐもぐディナーに集中している・・・。いや、いいんですけどね、、、いいんですけどねー。。。

話を戻して、その後、夫と義母が、義母の好きな曲に合わせてダンス。アメリカ人のイメージに違わず超マザコンで、時に私をイラっとさせる夫ですが、このダンスは素敵だったなー。嬉しそうな義母が印象的でした。やって良かったです。(ちなみに、夫と義母は本当に絵になっており、参列者もちゃんと見ていました。やっぱり「揺れる」だけじゃだめなのか。)

このあと、参列者それぞれとおしゃべりをし、紹介などをしていたら、あっという間に2時間半が経っていました。準備していたことはすべてうまくいったし、盛り上がるかしら・・・の心配に反して、私と夫の家族も、和やかに話をしていました。お互い、私達が小さい頃のアルバムを持ってきてくれていて、思い出話などをしてくれていたみたいです。

こうして、結婚式の一日は終わりました。

夫とは結婚式について、「人生を振り返るときに、『こんなに素敵な一日があったね』と思い出せるようなものになればいいね」、と話をしていました。そしてこれは、その通りの一日になりました。これから先も、きっとぶつかることの多い二人ですが、この日誓った想いを忘れず、そして一緒に祝ってくれた人への感謝を忘れず、頑張って乗り越えていきたいです。今回の結婚式では、「何があってもこの人となんだ」という覚悟ができました!

とか言いながら、さっそくぶつかり合ったりしているので、これからは通常のブログに戻りまーす。※もう少し、結婚式準備やハワイの備忘録も書き足すかもしれませんが。

長々とお付き合いくださり、ありがとうございました。
レセプションの後は、ホテルのビーチバーにて飲みなおし♪
おわり

2012年11月11日日曜日

ハワイで結婚式(5)―通訳は花嫁―

これまでのハワイの結婚式記録はこちら

言葉の通じない2つの家族・・・
2年半前、日本で果たした初めての対面は、盛り上がりに欠けるちょっとしょっぱい思い出だったので、「いかにみんなが楽しめるレセプションにするか」というのが、最大の心配事でした。

色々考えて、流れはこんな感じ。
1)乾杯の挨拶&乾杯(私の父)
2)ケーキカット
3)夫の友人のスピーチ
4)私の友人のスピーチ
5)ファーストダンス
6)義母と息子のダンス
7)お開きの挨拶

司会はアメリカ人の友人にお願いし、挨拶やスピーチは英語と日本語の両方で行うことにしました。誰が通訳するか・・・私しかいません。自分の結婚式で、誰よりも長くマイクを握っていたのは、花嫁の私でした。

心配事その1、この通訳が、私はとても憂鬱で。平たく言えば、同時通訳できるほど英語力がないんです。

幸い、私の父はとてもマジメな人間で、乾杯の挨拶を事前に考えてメールをくれました。おかげで、時間をかけてじっくり英訳することができました。

また私の友人は、事前に「英訳が必要なので、興ざめで申し訳ないけど、大まかにスピーチの内容教えて」とお願いしたところ、「○○(私)向けてスピーチするのに、○○自身が通訳するとかあり得ないよー」と言い、「英語も頑張ってみるわ!」と自らバイリンガルでのスピーチを買って出てくれました。

で、夫の友人のスピーチ。キャラ的に、事前に準備するようなタイプではないなーと思っていたので、「どういうトピックで話すかだけ教えて」とお願いしてみました。しかし、待てど暮らせど返答なし(正確に言うと、「わかったー」とだけ言われて、その後返答なし)。というわけで、こちらは何も準備のないまま、本気の同時通訳でいくことになりました。

さらにさらに、司会をしてくれる友人とも全く打ち合わせの時間もなく。とりあえず、タイムラインは事前に送ったけど、到着は結婚式前日の夜だし、どうなるの??という感じでした。

実は、挙式後、ビーチで写真撮影というのがあったのですが、挙式が無事に終わったこともあって、私の気がかりはもはやその後のレセプション一色。ちゃんと通訳できるかしら、考えた段取りがうまくいくかしら、そんなことばかり考えていました。心配性の損な性格です。

こうして始まったレセプション。

直前に、やっと司会をしてくれる友人と打ち合わせができ、彼が思ったよりちゃんとしていた(失礼)ので、ここで一安心。進行は何とかなりそうです。

そして、私達が入場してまず、父の挨拶。挨拶は、2分ほどの短い(?)ものでしたが、その後私の通訳が入るので、長さは2倍。間延びしないかなー、なんて心配もしていたのですが、大丈夫でした。

というか、始まって初めて、私がいかに無駄なことを心配していたか、わかりました。

父の挨拶は、私がアメリカに行きたいと言ったところから、夫と出会い、結婚するにあたって、親としての心配と、それを乗り越える決心が語られていました。父が事前にメールをしてきたのは、「こういうことを話して、向こうの家族に失礼ではないだろうか」というところからだったのです。私は、夫との付き合いも、結婚も、反対されたことがなかったので、父のこの話を、驚きと感謝の気持ちで受け止めました。息子を日本に送り出した夫の家族も、少なからず父と同じ気持ちを抱えていたのでしょう。とても共感してくれたようでした。

一山越えた・・・の後は、笑顔で乾杯&ケーキカット。
しばらく食事を楽しんだ後、いよいよ友人のスピーチです。

まずは、夫の友人のスピーチ。・・・普通に、ぶっつけ本番で通訳できました!(なんじゃそりゃ。)
不思議なんですけど、すごく愛のあるスピーチで、すーっと自分の中に入ってきまして。自分の中に入ってきたら、後は日本語なので、口に出すだけ。ジョークの部分もちゃんと笑いを取れたかどうかは、緊張して覚えてないんですけど、愛のある思い出話は伝わっていたと思います。

そして、私の友人のスピーチ。彼女は、自分のスピーチを英訳し、読む練習までして臨んでくれました。私の仕事は、夫の友人のスピーチで終わっていたのですが、今度は彼女の努力が実るかどうかが気がかりに・・・。ですが、心配は無用でした。友人のスピーチも、それはそれは素晴らしくて。たぶん、すごく練習してくれたんだと思います。内容が伝わるという意味でも100%で、アメリカ側の参列者からも「スピーチ良かったねー」と言ってもらえました。何よりも、長い時間を一緒に過ごした友人が、大切な思い出話とお祝いの言葉をくれるなんて、それだけで感激でした。写真を見ると、また私、ガマン顔です(嬉しい日なので、絶対泣くまいと思っていました)。

こうして、心配事その1はクリアしました。

ここまで心配のタネを増やして、どうして挨拶やスピーチを入れたかったのか・・・終わってみて気付いたのですが、ここは私のこだわりでした。

普段、アメリカと日本で離れている私達夫婦の家族や友人。私は、それぞれの家族や友人に、私達がどういう人に囲まれて生きてきたのか、少しでも知ってもらいたかったのです。だから、友達にも家族にも、何か一言もらいたかったのだと思います。その想いが叶ったのかどうかはわかりませんが、私達にとっては、大切な宝物になりました。

さて次は、心配事その2、ダンスです。そろそろお気づきかと思いますが、私、本当に心配性なんです。普通なら、問題なく楽しめる計画だと思います。。。
ウェディングケーキ、本当はもっとthe Americanな凝ったものにしたかったのですが、予算の関係で断念(泣)。雰囲気を出すために、トッパーだけamazonで購入しました。結構お気に入りです♪
つづく

2012年11月6日火曜日

ハワイで結婚式(4)―誓いの言葉―

これまでのハワイの結婚式記録はこちら

そもそも入籍から3年以上も経って、それでも結婚式を行いたかった理由、それは、「教会で式を挙げたい」という夫の想いからでした。私から見ると、夫は敬虔なクリスチャンからは程遠いのですが、それでも、結婚という大切な儀式は、紙を提出するだけでなく、教会で行いたかったのでしょう。私が、お正月は初詣に行かなくちゃ、というのと似ているのかな・・・ちょっと違う?

教会での挙式は、たったの一時間。しかもその中で、前半はリハーサル、後半が本番、という段取り。アメリカの方には「信じられない」と言われてしまいそうなのですが、日本式だとこういうのもアリです。前日にリハーサルをすることもできるのですが、そうすると、料金が二倍と言われてしまったんですね。。。夫はこのあたりも特にこだわりはなかったらしく、じゃあ一回の段取りで良いです、となりました。

リハーサルと言っても、新郎新婦と介添人、参列者もみんな同席していますので、メンバーは本番と同じです。本番と違うのは、写真を撮ってもいいですよー、というくらい。※でもリハーサル中、色々な人に写真を撮ってもらえて、後で結構嬉しかったです。

リハーサルでは、最初から最後まで段取りを流すので、誓いの言葉や指輪の交換(のフリ)も行います。神父さんは日本語と英語のバイリンガルですが、お茶目な方で、日本語と英語を言い間違えたり、キスを促すのを忘れたり、終始笑いの絶えない雰囲気で行われました。

後で聞いてわかったのですが、夫の祖母は、これがリハーサルだとは思わなかったらしく、「なんて適当な神父さんなの!さすが○○派ね。」と(もちろん自虐的な意味ですが)冗談を言っていたそう。あんな笑ってばかりの本番だったら、私もちょっと嫌です。。。

そして、本番。
式は、教会のシンガーの歌から始まりました。

私、この時点から涙をこらえるのに必死でした。なんと言うか、この三年半の苦労が思い出されて、やっとここまでたどり着いたなーという、感動がしみじみと。

さらに、バージンロードを歩くとき、父が小さく「良かったな。」と言ってくれて。両親にはいつも心配をかけていて(そりゃあ、娘が国際結婚して、さらに夫が無職となればね・・・)、申し訳ない気持ちでいっぱいだったので、「こちらこそ、いつも支えてくれてありがとう」と言いたかったのですが、「うん。」と言うのが精一杯。これ以上何か言うと泣いてしまう。

そして、夫の前に立ち、誓いの言葉を聞いたとき。

聞き慣れたフレーズではありました。でも本当に意味を感じました。ここで夫から聞き、自分も述べたこれらの言葉を、これからも一生忘れないでおこうと、心に決めました。

結婚式は、普通は結婚するときにするものですが、今までの生活がなかったら、きっとこんなに真摯に言葉を受け止められなかっただろうと思います。そういう意味では、3年越しの結婚式も悪くなかったなー、と思いました。
こうして、あっという間に結婚式は終わりました。文字通り、あっという間でしたが、とても大切な時間になりました。

さて、このあとはいよいよ、ずーっとずーっと悩みの種だったレセプションです。

おまけ:
感動的な式だったのですが、上記のように、私、ずっと涙をこらえていたのです。
おかげさまで出来上がってきた写真・・・到底大人がしないような、まゆ毛八の字のガマン顔。全部ですよ、全部!素直に涙を流しておけば良かったです(泣)。

つづく

2012年10月31日水曜日

ハワイで結婚式(3)―ホテルで写真撮影―

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夫のタキシードがないまま、迎えた結婚式当日。不安な気持ちのまま朝ごはんを食べ、タキシードショップへ行く準備をしていると、電話が。タキシードショップからでした。留守電を聞いて連絡してくれたらしく、「いやー、取りに来ないから心配してたんだよー。今からお店開けるよー。」ですって。いやいや、心配してたのはこっちですよ・・・15時閉店って、早すぎですから!(もとはと言えば、夫が全部悪いのですが。)

というわけで、夫とグルームズマンみんな揃って、無事タキシードを借りることができたのでした。これで何とか、体裁は整いました。本当に、本当に、良かった。。。。

結婚式は夕方からなのですが、挙式の前に、まずホテルで写真撮影。「あまり安いホテルには泊まらないでくださいねー」と言われていた、アレです。

パンフレットで見たときから、雰囲気のいいホテルだなーと思っていましたし、実際に着いてからも、イメージと違わぬ素敵なホテルだったので、写真撮影はとても楽しみにしていました。が、考えることはみんな同じなようで。。。

実はこのホテル、ロビーに座って人を数分待つだけで、何十組というウェディングのカップルを見ることになるのです。それはもう、次から次へと沸いて出る感じ!到着初日にそれを目の当たりにした私は、「ここでウェディング撮影ってすごく特別な気がしていたけど、私達もあれの一部になるのか・・・」と、少しテンションが下がってしまいました。

しかも驚いたことに、そのほとんどが日本人なのです。これが日本人のハワイ婚好き、と言えばそうなのですが、他の国の人って、あんまりホテルとかで撮影しない・・・のかな?夫にこの話をすると、「まず、式の前に二人で写真撮影とかありえない」と言われてしまいました。まあ、そうだよね、教会でファーストミートってのが、あるべき姿なんだよね、アメリカでは。

私達の場合、アメリカ式にすると色々面倒なことも多かったので、このあたりの段取りは完全に日本式で行いました。夫はこの点は全くOKだったのですが、彼にとってこの写真撮影は、日本っぽいなーって思ったみたいです。

さて、いよいよ自分達も日本のウェディングカップルのone of themになったわけなのですが。

結論から言うと、テンションが下がるとか、全く関係なかったです。いざ写真を撮り始めると、自分達しか見えません!ごめんなさい!

お部屋での準備の様子とか、メイン階段やロビーでの撮影、ルーフトップや廊下や窓際、エントランス・・・ありとあらゆる場所でたくさん写真を撮りました。ホテルで出会う知らない人にも、「おめでとー」なんて声をかけてもらい、とっても良い気分でした。

気分も盛り上がってきたところで、迎えの車に乗り込み、教会へ向かいます。

余談ですが、ハイな気分もすっかり落ち着いたこの翌日、全く同じカメラマンさんが同じ場所で違うカップルの写真を撮っていたのは、少し気分が萎えました。。。さすがの流れ作業です。

それでもやっぱり良い思い出。。。

つづく

2012年10月30日火曜日

ハワイで結婚式(2)―タキシードがない!―

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結婚式にハプニングはつきもの?なのでしょうが、私達のところにもしっかりやって来ました、予想外の出来事。

私のウェディングドレスは、結婚式の何ヶ月も前から準備して、日本からハワイへ持ち込んでいました。しかし夫は、体も足もアメリカンサイズなので、日本でレンタルするよりも、現地で借りる方が良いと、私のドレスとは全く別で準備していました。

そもそも、なかなかタキシードを予約しない夫に腹を立てて、「そろそろ決めてよー」とお尻をたたいたのが一ヶ月前。ネットでハワイのレンタルショップを見つけて、夫とグルームズマンのサイズを測って、国際電話で予約して、一件落着と思っていたのです(でも予約はほとんど二週間前・・・)。

が!甘かった。

グルームズマンをつとめてくれる夫の友人がハワイに到着するのが、結婚式の前日の午後。借りに行くのがぎりぎりになるけれど、試着もしたいし、人数が揃ってから借りに行くということで、お店にはその日の午後に行く予定を立てていました。

午後はまず、ウェディングプランナーさんとの打ち合わせ。とてもてきぱきした方で、一時間ほどで打ち合わせは完了。

さて、時刻は午後3時半。私はホテルのお部屋でリハーサルメイクがあるので、夫は友人とタキシードショップへ・・・と思いきや、ショップへ電話をした夫の手が止まりました。「土曜/日曜は、午後3時までの営業です」受話器越しに聞こえるボイスメッセージの音。。。

「ちょっとー!だから早めに行っとけって言ったじゃない!」
「週末に営業が3時までの店なんて聞いたことないし!!」
「つーかさ、明日結婚式で予約してるのに、連絡もなく閉めちゃうお店って・・・あなた、本当にちゃんと予約できてるんでしょうね???」

罵倒し合ってみたけど、もちろん何も解決せず。

とりあえず、留守番電話にメッセージを残し、明日の朝一番でお店に出向くことを伝えました。「最悪、デパートで黒いスーツを買うよ」という夫でしたが、せっかくお気に入りのドレスを準備しているのに、夫がそこらへんのデパートで買ったあり合わせのスーツだなんて、悲しすぎます。。。

とまぁ、考えていても仕方ないので、残りの午後は、それぞれの予定をこなしました。私は、リハーサルメイク、その後、両親と友人とディナー。夫は、ハワイに来る友人を迎えに行き、そのまま友人とディナー。

いやね、私も大概失敗を笑いに変えるほうですけど、メイクさんにも、両親にも、まさか「夫の明日の服がまだないんですよー、ハハハ」なんて、言えませんでしたよ。

一抹の不安を抱えたまま、迎える結婚式当日・・・。

ドレスは報われるのでしょうか。。。

つづく

2012年10月26日金曜日

ハワイで結婚式(1)―ハワイに到着!―

いよいよ待ちに待った結婚式!
夫の実家への帰省を除くと、まさに結婚以来ほぼ4年ぶりの海外旅行。それも初ハワイとなれば、結婚式でなくてもウキウキしてしまいます。

前日にシェービングとエステに行き、朝方までパッキング、さらに出発日の午前中にネイルを済ませ、空港でドレスをピックアップ。。。かなりバタバタの出発となり、イライラで夫婦ケンカも勃発しましたが、一度飛行機に乗ってしまえばハワイはすぐそこ!いや、本当に一瞬でした。夫の実家へは、飛行機で12時間、さらに国内線に乗り換えて2時間ですから、ハワイへの7時間弱のフライトは、大げさではなく一瞬に感じました。

私達のハワイステイの予定はこんな感じ。
1日目 到着
2日目 結婚式の打ち合わせ&リハーサルメイク
3日目 結婚式
4日目~8日目 自由行動(今回は、オアフ島のみ)
9日目 日本へ

私の家族や友人は、結婚式の翌日や翌々日に帰るため、結婚式までは私の友人や家族と過ごし、後半は夫の家族や友人と過ごす予定を立てました。さて、二人の時間はどれだけ取れるかな・・・一応新婚旅行も兼ねているのですが、とは言っても、はるばるハワイまで来てくれた人たちと一緒に時間を過ごす必要もありますからね。まあ、夫側の家族/友人と私側家族/友人でうまく予定はばらけたので、もうあとはなるようになるわ、という気持ちでいました。

さて、到着しましたホノルル国際空港。予約していたレンタカーをピックアップし、宿泊先のホテルに向かいます。今回、私達が宿泊したホテルはここ、モアナサーフライダー(http://jp.moana-surfrider.com/)。
いやー、ここがもう、本当に素敵なホテルでして。

もともと、「結婚式の日にはホテルのお部屋でも写真を撮りますので、あまり安いホテルには泊まらないでくださいね」とプランナーさんから言われていた私達。うーーん、と言われてもハワイのホテルなんて何も知らない。というわけで、めったに行かない旅行会社に出向き、おススメしていただいたのがここだったのです。

余談ですが、この旅行会社が全く使えなかった!「結婚式をする」以外はノープランだった私達に、「ハネムーンならこのホテル」と(希望も聞かず)決め打ちで4つのホテルをごり押し。そしてパンフレットをただ朗読したあげく(読むだけなら、自分で読みますって)、私達が「9泊したい。途中で宿泊ホテルを変えたい」といった要望を伝えたところ、「そのようなプランは存在しませんので、お見積もりには5営業日頂きます」ですって。普段から旅行は個人手配が基本の私達は、ネットの方がよっぽど融通きくねー、、、、という結論となり、そのままパンフレットだけ頂いて帰ってきたのでした。

が、しかし、その彼女のごり押しホテルのうちのひとつが、ここだったわけです。いろいろ言いたいことはあるけれど、彼女の唯一で最高のファインプレーでした☆

話を戻して、ホテルに到着。見た目もさることながら、ロビーはオープンエアーで、ビーチからの風が吹き抜けて超さわやか~。チェックインはまだできなかったのですが、これは幸先がいいぞ。ということで、夢の膨らむ私達でした。

この後、一日目は、先に到着していた私の友人と合流し、ブランチ&(なぜか一日目から本気の)ハイキング&ショッピングでビキニ購入~♪夜は、他の日本からの友人とも合流し、友人おススメのレストランで、にぎやかなディナーとなったのでした。

つづく

2012年10月22日月曜日

レセプションで何をするか?(2)

一ヶ月以上ご無沙汰をしてしまいました(毎回これを言っている気がしますが)。
ご無沙汰している間に、ハワイでの結婚式を終えて、日本に帰ってきました。
今でも、思い出してはニヤニヤしてしまうくらい、素敵な時間を過ごしてきました。

結婚式のことは、記録も兼ねてまたぼちぼち書いていきます。

今回は、レセプションの計画の話が中途半端に終わっていたので、その話を(本当に今さらですが)。前回の話は、こちら

レセプションの前半のメインが、乾杯、ケーキカット、スピーチだとすると、後半のメインはダンス。

これ、最初はどうしようかすごく悩みました。というのも、日本の披露宴でダンスをするという習慣はありません。でも、夫の話や、ネットで調べたところによると、アメリカのレセプションのメインはダンスだと言ってもいいくらい、踊るらしい。新郎新婦のファーストダンスに始まり、新婦と父のダンス、新郎と母のダンス、あとはみなさまご自由に踊って・・・という感じで。

ファーストダンス、日本の招待客にとってはどうなのかしら、と思いつつも、結局行うことにしました。恥ずかしいなー、という気持ちも多少ありましたが、みんなの前で二人でダンスをするなんて、こんなの自分の結婚式でしかできないわ!というミーハーな気持ちもありまして。

ただし、私と父のダンスはやめました。一応話はしてみたのですが、父は案の定、恥ずかしがって拒否しましたし、還暦を迎えた父に人前で(おそらく)初ダンスを強要するのも何なので。。。そのかわりに、夫と母のダンスはしてもらうことにしました。事前には伝えなかったのですが、きっと義母は、レセプションで息子と踊ることを嬉しく思うだろうなーと思いました。

さて、ファーストダンスをするとなったら、考えるのが曲目。
相変わらず、思い出の曲もない私たちなので、演奏をお願いしていたバンドにいくつか候補を出してもらいました。

候補として上がってきたのが、クラシックの有名どころ、有名なラブソング系、いくつかの知らない曲でした。クラシックは音楽の授業で習うような、本当にポピュラーなものだったので、なんとなく特別感がなくて却下。ラブソング系は、どれも「絶対に男友達が笑う!」と夫が断固拒否だった(小学生か!と私は思いましたが)ので却下。

というわけで、知らなかった曲の中から気に入ったものを一曲選びました。
で、めでたしめでたし、のはずだったのですが、後日談が。

選んだのは、「Somewhere in Time」という曲。これ、同名の映画のテーマソングらしく、「せっかくだし結婚式の前に二人で映画を見ようよ」ということになったんです。映画は、80年代のラブストーリー。タイムトラベルがテーマになっていて、予告編を見る限り、とてもロマンチックな話っぽい。ということで、「いい思い出の曲になるわー」とウキウキしていました。

ところがどっこい、映画のエンディングが(私にとっては)「なんじゃそりゃー!」な終わり方で。ロマンチックというか、とても悲しい。別に嫌いではないけれど、ファーストダンスの曲としてはどうなのよ、と思ってしまいました。一方で夫は、「ロマンチックなラブーストーリだ」なんて横で感動してるし、反応が真逆ー!!

同じタイムトラベルなら、「Back To the Future」(何気に一番好きな映画です☆)のテーマソングにしとけば良かったよ!とまで思ってしまった私でしたが、曲そのものは気に入っているし、夫は映画にも感動していたので、結局このままこの曲でファーストダンスをすることにしました。

さて、色々悩んだレセプションも、一通り流れを決めて、とりあえず一安心。気の緩んだ私は、ダンス未経験にもかかわらず、全く練習もしないまま、ハワイに突入してしまいました。

※もし興味のある人がいらっしゃったら・・・この映画です。


2012年9月16日日曜日

オムツケーキ

ちょっと話題が変わりますが…。

結婚式の準備をし始めて、発見した自分の意外な一面。それは、自分が「クラフト好き」だったということです。経費節約のため、結婚式のペーパーアイテムもろもろはすべて私が手作りしています。デザインを考えたり、ちまちま作成したりと、楽な仕事ではないのですが、これがとっても楽しい!夫も、「意外な才能だねー」と褒めてくれて、いい気になったりして♪

というわけで、他のことにも派生し、今回は出産間近の友人のために、オムツケーキを作成しました。アメリカのベビーシャワーの贈り物では定番ですよね。珍しくて面白いかなーと思ったのですが、調べてみると、今は日本でも人気の出産祝いのよう。でも、買うと一万円くらい…ってことで、手作りすることにしました。

色々な人の作り方を参考に、デザインを考えて…できたのが下の写真☆★オムツを一つ一つ柄の紙ナプキンで包んで丸めて、組み合わせています。初挑戦の割には上手くできたー♪と自画自賛しているのですが、どうですか??

実はこれ、すべて100均で購入した物で作りました。なので、飾り付け代金は1000円以下+オムツ代。今の100均は何でもあって、すごいですね。

友人が喜んでくれるといいなー。(作り方を調べていると「開封して人が触ったオムツなんて使えない!」なんて言ってるお母さんもいたので…。)ドキドキ。

2012年9月15日土曜日

レセプションで何をするか?(1)

またまたご無沙汰してしまいました。すごく忙しいわけではないのですが、週末は何かと予定があって出かけています。結婚式が終わったら、燃え尽き症候群になるんじゃないかしら、と今から心配です。。。こんなに夢中になるなんて自分でもすごく意外なのですが。

さて、もうしばらく結婚式関連の記事にお付き合いください。今日はレセプションのプログラムのお話。

私たちのレセプションは、20人くらいの小さなものですが、一応場所を貸し切って行います。ですので、食事会形式ではなく、MCを立てて、プログラムに沿って進めることにしました。ここで問題になるのが、「何をしましょうか」ということ。

私は、アメリカのレセプションに出席したことがありません。アメリカでは何をするのかなーと思って夫に聞いたのですが、記憶が断片的。聞き出せたキーワードは「ベストマンのスピーチ」「ダンス」のみ!さらに、「乾杯はレセプション中盤のスピーチの後だから、乾杯の前にみんなをお酒飲むよ」と。乾杯の前に飲み始める??なんだか前後関係がよくわかりません。

夫が役立たないので、Google先生に聞いたところ…本当にダンスが主なんですね。まず出てきたのは、「決まったプログラムなどありません」ということ。例を色々見てみましたが、決まった形式はなさそうでした。ただ、時間はほとんど5時間コースで夜中まで。。。日本的な2時間の例なんて、見つけられませんでした。

私なりの理解は下記。

<<日本の一般的な進行>>
新郎新婦入場
乾杯
ケーキカット
歓談・食事
スピーチや余興
花嫁の手紙
新郎父挨拶
新郎挨拶
新郎新婦退場

<<アメリカのレセプション(Google先生による)>>
新郎新婦入場
ウェルカムスピーチ(花嫁父)・乾杯(あってもなくても良い)
歓談・食事
メイドオブオーナースピーチ・乾杯
ベストマンスピーチ・乾杯
ケーキカット(ファーストダンスの後でも)
ファーストダンス
花嫁と父のダンス
新郎と母のダンス
ケーキ食べる
あとはご自由に…みんなダンス
お開き

みたいな感じ。どうでしょうか?謎だった乾杯なのですが、どうもアメリカ版は、乾杯が一度ではない模様。おめでとう、と言ったら都度乾杯みたいな印象を受けました。

私たちは、どちらにとっても違和感のないように進めたかったので、二つのいいとこ取りをすることにしました。

まず、日本的な花嫁の手紙・プロフィールビデオなどは、なし。個人的には不要だと思っていたので、都合が良かったです。あと、カメラマンの都合上、ケーキカットは日本的に食事の前に。乾杯も、アメリカでは最初にはしない方が一般的っぽかったのですが、
私の父に最初にしてもらうことにしました。

スピーチは二人の親友にそれぞれお願いしました。ここは日本もアメリカも同じですね。余興(こういうのは日本だけなのかな)は、何かあれば計画しても良かったのですが、特にあてもないのでやらず。

そして…超アメリカ的なダンス!これはどうしようか、と考えました。

長くなったので、次に続きます。

※ちなみに、ブーケトスとガータートスは二人の参列者の顔ぶれ上、行っても不愉快な催しになるので、もともと削っています(^^;;

2012年8月14日火曜日

結婚指輪をオーダーメイドで(2)

前回までのお話はこちら

指輪のデザインが決まったあと、次に決めなければいけなかったのが、指輪の刻印。指輪の内側に掘るアレです。

例を見ると、「日付 A&B」みたいな感じ。なるほど。
ところが私達、指輪に掘りたい日付がないのです。入籍日か、結婚式を挙げる日を入れるのがいいのかもしれませんが、大切さのレベルというと同じなので、どちらかを取るというのも難しい。

そこで、「せっかくだから、二人で決めた言葉を入れよう」ということになりました。「好きな言葉 A&B」にしよう、というわけです。好きな言葉は、二人の座右の銘になるような言葉がいいね、ということで、図らずも、前回残念な結果に終わった「二人の価値観」について、話し合うことになったのです。

とは言え、指輪の文字数は限られているため、決めるのは難しかった。。。

まず、「ラテン語がいいんじゃない?」なんていう夫のアイデアで、過去の賢人の言葉をひたすら調べる羽目に。夫が出してくるのはひたすら「愛」についてのwisdom。前回の「忍耐」を反省したのかは知りませんが、「love conquers all(愛はすべてを征する)」とか、「love creates love(愛が愛を生み出す)」とか。うーん。。。夫のことはもちろん愛していますが、私には「愛がすべて、愛は万能」という信念はなく、こんな言葉を指輪に刻まれてもウソ臭いので、却下。

その後も、色々なquotesを探してみたのですが、どうも借り物感が否めず。結局、「文字数抜きにして、私達が二人の関係で大切にしたいと思っていることを言おう」となりました(と言っても、恥ずかしいのでなぜかメールで)。

結婚してから、夫が私に何を求めていて、私にとって夫がどうありたいか、なんて聞いたことがありませんでした。もちろん、私も伝えたことはありません。夫からメールをもらって、自分の考えと一致している部分がある事が嬉しかったし、そんな風に考えていてくれたんだなーということがわかって、ちょっと感動しました。

※ただ、夫のメールの文面が「私に○○であってほしい、○○ であってほしい 、○○ であってほしい ・・・そして自分も私にとってそういう存在でありたい」という順で書いてあったので、始めは、「要求だけかい!」と思ってびっくりしたのですが。ちょっと日本語的(?)な言い回しですよね。

こうして、二人の考えから思い浮かべられた単語を、指輪の刻印にしました。指輪のデザインのときは、二人の大切にしているものがあいまいでしたし、その場で答えられなかった(「忍耐」も「平穏」も大切なのですが)ことが少し残念でもありました。でも結果的に、後でこうして話ができたので良かったです。

しかし、「これで指輪はばっちり心のこもった大切なものができるね!」と喜んだのもつかの間・・・見積書を見て、目ん玉が飛び出るというオチが待っていました!!!知名度のあるラグジュアリーブランドの結婚指輪より高かった・・・(悲)。計画性のない夫婦、どんどん結婚産業の深みにはまっていきます。

2012年8月13日月曜日

結婚指輪をオーダーメイドで(1)

ずいぶんご無沙汰しました。またしばらく結婚式準備の記事が続きますが、お付き合いください。

今日は、結婚指輪の話。

私達は、入籍時に指輪を買いませんでした。結婚式はすぐにできるだろうと考えていたので、「使用済みのものより、式で新しい指輪を交換したいね」ということで。結果、3年も指輪無しで過ごし、親戚家族に何度も、「あれ、なんで結婚指輪してないの?」と言われる始末。

ということで、私達にとって、結婚指輪は念願の代物でした。

結婚式同様、結婚指輪についても色々と妄想済みだった私は、「ここの指輪がいい」というのを決めていました。ジュエリーのデザインはもちろん、会社のコンセプトも共感できるもので、大事なものはここで買いたいと思っていました。

ちょうど、私の誕生日に夫がアクセサリーをプレゼントしてくれるというので、そのお店に行き(ちゃっかりプレゼントはそこのアクセサリーをゲット♪)、ついでに結婚指輪も見ました。結婚指輪について夫の好みを聞いたことがなかったし、どうかなーと思っていると、思いのほか夫も気に入った様子。あっさり、ここで買いましょう、となりました。

なのですが、いざデザインはどれ、となると難しいですね。
気に入ったものがあるにはあったのですが、一点どうしても気に入らない部分があって(夫と意見も一致)、「おしい」なー、という感じでした。

そこで、思い切ってオーダーメイドにすることにしました。ずっと使うものだから、納得できるデザインにしたいし、気に入った指輪の気に入らなかった一部分をちょっと直してもらって(そう言うとデザイナーさんに失礼なので、うまく婉曲して伝えて)・・・、なんて考えていたのです。

ところが、いざ打ち合わせに臨むと、甘かった。。。

さすが、オーダーメイドを扱っているお店だけあって、お客様のデザインに対する思い入れも大きいのでしょう。「二人の思い出」から、「指輪に込めたい想い」「二人の目指すもの」まで、色々と聞き出した上で、そこからインスピレーションを受けてデザインを作成する、というものでした。

客観的に聞くと、これぞオーダーメイドで、とてもステキですよね。しかし、私達のそもそもの動機が「これのここ、もうちょっと変えて欲しいなー」なんていう、不純なもの。そして、良くも悪くも物質的なものにこだわらない私達には、特別な場所も記念日もありません(付き合った日もはっきりしないし、プロポーズも適当・・・)。

では、二人の結婚の価値観、目指すものは?と聞かれて、その場で考える私達。「いやー、(夫が無職時代は)ケンカばっかりしていたので、これからは穏やかに平和に暮らしたいですねぇ。」なんて、切実だけど、夢も希望もない意見を述べる私。それに対して夫、込めたい想いはこれだ、と英単語を言ってきたので、どういう意味か辞書で調べてみると・・・

endurance = 忍耐、我慢

おいっ!!私とデザイナーさん、引きつり笑いですよ。結婚3年も経つと、こうなってしまうのか。。。とにかく、込めたい想いが「平穏」と「忍耐」だなんて悲しすぎるので、「・・・今まで聞いたお話から、イメージしてみますね。」と、デザイナーさんも苦肉の策。

結果、私達がいいなーと思っていた指輪のデザインを少しアレンジして、かつ自分達だけのデザインも加えた、最初に思い描いていたものになりました。デザイナーさんからすると、私達の思い入れ不足で腕の見せ所がなかったかもしれませんが、自分達としては満足の行く結果に。

しかし、「結婚に求めるお互いの価値観」。考えたことなかったなー、、、と、反省する一日でもありました。

長くなったので、(2)に続きます。

2012年7月20日金曜日

結婚式の費用は誰が払うか?

安くない結婚式の費用。みなさんの場合、費用は誰が出しましたか?

夫とまだお付き合いをしていた頃、何かのきっかけで結婚式の話になりました。そのとき夫が、「アメリカでは、新婦の両親が結婚式の費用を出すのが慣習なんだよ。」と言ってきたので、びっくり!「アメリカって男女平等じゃないの?なんでお嫁さん側がお金出すわけー??」と驚いて聞くと、「まあ、昔の話だから、今はそんなことないけどね。」とのこと。

そのときは結婚を考えていたわけではなかったので、そのまま忘れていました。しかし、別のシチュエーションで夫の兄と話していたとき、また何かのきっかけで結婚式の話に。式をするならどこでしたいか、みたいな話になったので、(当時は結婚も現実的ではなかったため)「○○アイランドー!でも高いね。」なんて夢見がちに話すと、「あ、でもお金は新婦の両親が出すんだからいいじゃーん。」と冗談口調で言われました。

「なに?やはり新婦の両親が出すのが慣習なのか?」と、若干不可解に思いながらも、そのときも具体的に結婚の話など出ていなかったので、聞き流しました。

そしてやってきた、具体的な時期。まさに今ですよ。
「夫がアメリカ人だから、お父さん、お母さん、お願い☆」・・・なーんて言うわけはなく。

私達は二人とも社会に出てしばらく経っている大人ですし、結婚式は自分達の貯金で、と考えていました。夫の仕事が決まってから結婚式がしたいというのも、費用を自分達で出したかったからです。いや、はっきり言うと、私のほうは貯蓄があったので、すぐに結婚式でも良かったのですが、夫のほうが・・・まさかの貯金(ほぼ)ゼロ!で日本にやってきまして。今から考えると、無職で貯金なしの男とよく結婚を決意したなーと思うのですが、まあ、そういうわけで、結婚式に夫の仕事はマストだったわけです。

結婚式の費用は自分達で、と考えるにあたり、思い出したのが、冒頭の「アメリカの慣習」のお話。夫の両親に限って、「何ですぐ結婚式をしないの(あなたの両親がお金出すのに)?」なんて思っていないことはわかっていましたが、そこは文化の絡む話。何が失礼にあたるかわからないので、夫にきちんと私達の思いを説明してもらうように頼みました。夫の両親も、それに対しては何を言うでもなく、もちろん理解を示してくれました(まぁ、そちらの息子のせいっちゃせいですからね)。

で、めでたく二人で貯金ができるようになり、結婚式までこぎつけたのですが・・・ここで現れたのが、私の両親。どこで調べたのか、「アメリカでは妻の両親が結婚式のお金出すんだってー?」と言ってきたのです。どうやら、ネットでアメリカの結婚式について色々調べたらしい。

「まあ、そういう話もあるみたいだけど、夫の両親とは話をしてるし、向こうはそんなこと期待してないよ」と伝えたのですが、やっぱり多少気にしている様子でした。

そしてつい先日、私の両親から援助の申し出がありました。「アメリカの話なら気にしなくていいよ」と伝えたところ、「日本の結婚式はお互いの両親が出すものよ。結婚は両家の話なんだから」と。そう言えば、私は日本の慣習というものを何も知らなかった!日本の友達とも、結婚式の費用は誰が出したかなんて、話をしたこともなかったのです。お祝い事の裏事情ですからね。。。

結局、気持ちだけもらうことにして、大方針は変わらず。

それにしても、すべてを納得してくれた両家の両親にしたって、本音と建前はあるわけで、結局どうするのが正しかったのか、今でもよくわからないままです。

※ここで出てくる、アメリカの慣習、日本の慣習は、私の周りの人の言っていることをそのまま書いたもので、調査に基づくものではありません。なので、これが実は普通でも慣習でもなかった、ということもあり得ますので(すみません、一般論を調べるのが面倒くさくて・・・)、あしからず!!

2012年7月8日日曜日

ドレス選び

結婚式の場所を決めてから一ヶ月ですが、そのほか、必要なことも順次決まってきました。結婚指輪、ウェディングドレス、飛行機のチケットとホテル(まだ旅程の半分だけですが)です。

今回は、ウェディングドレスの話。

私は今まで、人生の節目の特別な服装、というのにあまりこだわってきませんでした。成人式はスーツで出席しましたし、大学の卒業式も(日本では大体の女性が袴を着ますが)成人式の時に着たスーツを着用。着物を着たい気持ちはあったのですが、レンタル代と天秤にかけると、「別にいいや」という感じでした。

とういわけで、ウェディングドレスについても、「予算内で、あまりこだわらずに準備しよう」と考えていました。が、蓋を開けてみると、しっかり日本のウェディング産業に貢献する結果に。。。周りの皆が、「知らない間に費用が膨れ上がっていくよー」と言っていたのが、わかる気がしました。でも、結果的に好きなドレスが見つけられたので、満足しています。・・・って、最初からこんな感じだと、先が思いやられますが。

さて、好きなドレスと似合うドレスは違うよ、とは良く聞きますが、私の場合、嬉しい誤算がありました。

私は、背は日本女性の平均、顔は童顔、痩せ型で、その分お胸も・・・(自粛)、という体系です。なので、スレンダーな形のドレスは似合わないと思っていました。きっと、プリンセスラインのかわいい感じのドレスが合うんだろうなー、と。実際に試着しても、大人っぽいスレンダーラインはどうも貧相で残念な感じ。プリンセスラインの方がしっくりきます。

ただ、私の好みは体にフィットした大人っぽいドレス。特に、ウェディング関連でアメリカのサイトをよく見るようになってからは、ますますスレンダーラインへの憧れが膨らみました。

で、あきらめずにさらに試着、試着。

そこで気付いたのが、「私はスレンダーなドレスが似合わないのではなく、スレンダーかつシンプルなドレスが似合わない」ということ。ドレスの型はどうあれ、私はシンプルなデザインが好みで、あまり装飾のないドレスを選んでいました。でもふと、ちょっとやりすぎかなー、くらいのデザイン性のあるドレスを試着してみたところ・・・「スレンダーでもいける!」。完全にスレンダーはダメだと思っていましたが、さすがに30代に入って久しい大人です。いくら童顔でも、大人っぽいドレスを着こなす力は備わっていたようで、、、嬉しい。

最終的に、「シンプルなプリンセスラインのドレス」と「デザイン性の高いスレンダーなドレス」で迷っていたのですが、一緒に来てくれた友人の「あの濃い顔の旦那の横に並ぶのだから、このくらい主張してたほうがいいよ!」の一言で、スレンダードレスに決めました。夫の顔のくだりは笑ってしまうけど、確かにもっともな意見です。

というわけで、めでたくドレス選びは完了。まわったお店は3件。1件目のお店が自分の好みと合っていたので、ほとんどそこに決めていて、あまり多くまわる必要はありませんでした。

ちなみに、アメリカでは結婚式前に新郎が花嫁のドレスを見るのはBad Luckらしいのですが、私達は全く気にせず、二人でまわっていました(結婚して3年も経ってますしね)。でも、First Meetを大事にする習慣って、日本でも割と知られているのですかね?ウェディングドレスのお店で必ず、「新郎様にお見せしても大丈夫ですか」と聞かれました。私は夫と結婚するまでは、そんなこと全く知らなかったなー。

しかしながら、ドレスを決めるのに夫の意見は全くもって参考にならないことがわかったので(基本的に全部「いいね」と言ってくる)、最終決断は友人にお願いして、一緒に来てもらいました。やっぱり女性の意見の方が断然参考になります。結果、夫は最終的にどのドレスに決めたのかを知らないので、これはこれで良かったのかな。

ドレスはいろいろ悩んでも、楽しい悩みのうちのひとつですね。

2012年6月23日土曜日

両家晩餐のトラウマ

結婚式で私が一番恐れていること・・・それは、「レセプションが盛り上がるかしら?」ということです。
こんなことを心配する花嫁はいないかもしれませんが、私にはトラウマがあるのです。

結婚して二年目の春、アメリカから夫の両親と祖母が、日本へやってきました。
そこで果たした、両家の初対面!!
私の実家周辺は有名な観光地でもあるので、みんなで一緒に観光をした後、レストランでディナーという流れでした。

観光をしているときは、見るものがあるので、まぁ和やかに過ぎたのですが、問題はディナー。。。平たく言うと、話題が無くて全く盛り上がらなかったのです。お互い、会えることはとても楽しみにしていたのですが。

もちろん、言葉の壁が一番大きいのですが、原因は「みんなシャイだった」の一言に尽きると思います。私の母はもともとシャイなので、それほど期待していなかったのですが、夫の両親は社交的なイメージがあったので、大丈夫だろうとタカをくくっていたら、びっくり。ディナーでは借りてきた猫のように静かになってしまって、「なんでー?」って感じでした。

そのとき思ったのは、外国人とのコミュニケーション能力って一般的に社交的かどうかではなく、普段の生活が想像もつかないような未知の人々に対して、どれだけアグレッシブになれるか、が鍵なんだなー、ということ。地球人とのコミュニケーション能力と、エイリアンとのコミュニケーション能力は種類が違うとでもいいましょうか。。。もちろん、片方が得意な人は、もう片方も得意な人が多いのでしょうけど。

そういうわけで、ディナーの場で活躍したのは、期待していた夫の両親ではなく、意外にも夫の祖母と私の父でした。と言っても、私の父は仕事柄、「日本のいいところを知ってもらいたい」という気持ちが強くて、話題は提供してくれるものの、えらく宣伝トークになって、途中から閉口してしまいましたが。

しかしながら、その場で一番イケてなかったのは、私達夫婦です。こともあろうに、(今さら)大緊張してしまった二人は、盛り上がらない食卓に「どうしよう」と動揺してしまい、さらに無口に。話題を提供することも、しっかり通訳することもままならず、結果、残念な晩餐となってしまったのでした。

よく考えたら、夫なんて普段は超社交的で、家でも外でもうるさいぐらいに喋るのに、なぜあのときに限って場を取り仕切ってくれなかったんだろう。・・・思い出したら腹が立ってきました!

そういうわけで、レセプションでは同じ失敗は繰り返すまい!と意気込んでいるのですが、とは言え、言葉が通じない事実は変わらず、(対外国人への)シャイな性格も変わらず。。。

お祝いであることやハワイという場所柄が、もう少し場をリラックスさせてくれるだろうとは思うのですが、レセプションで何をしようか、、、というのが私のもっぱらの、そして最大の悩みです。

2012年6月9日土曜日

ブライズメイドでケンカ

ケンカってほどでもないのですけど、結婚式の話で早速衝突。

ハワイの教会で式を挙げることにした私達。必然的に、夫側の文化に合わせた式になります。宗教的な部分は納得しているのでいいのですが、今回は、グルームズマンとブライズメイドのお話。

日本の結婚式では仮に西洋風(?)な式でも、グルームズマン、ブライズメイドはほとんどいません。ですので、私は、「いてもいなくてもどっちでもいいな」くらいに思っていました。そもそもそういう慣習は私の中にはないし、参列してくれるであろう友人にもありません。突然、「お揃いのドレスを着て、挙式に(文字通り)参加してね。」なんて、びっくりするだろうなーというのもあります。

それでも、来てくれる友人がいればブライズメイドをお願いしようかな、と思っているのですが、挙式をハワイにしたことで、何人来られるのかまだわかっていません。参列して欲しい友人には声をかけましたが、正直、小さな子供がいる友人もいるし、そうでなくても、仕事を休んで飛行機で・・・となると、負担も大きいので、本当に「万が一、可能であれば来て欲しい」くらいの気持ちです。自分の経験から言っても、お祝いの気持ちって、式に参列するとかしないとかは関係ないですし。

なので、ブライズメイドの数集めのために友人に声をかける、ということはしたくないのです。

先日夫に、「何人来られるかわからないし、もし人数が合わないのであれば、ブライズメイドは辞めたい」と言ったところ、夫が猛反発。「We have to have groomsmen and bridesmaids」と言ってきたので、「別にhave to haveじゃないでしょうに。私は日本人なんだから。」と、文化的平行線な言い争いに。。。こうなると、もうお互いの歩み寄りしか解決方法がありません。

夫の言い分は、
「ブライズメイドをお願いされるなんて、友達にとってもhonorなはずだ」(いや、よくわからない制度だから、別にhonorではないでしょうよ。)
「ベストマンがいないと、レセプションでスピーチしてもらえない」(友人代表ってことでスピーチしてもらったらいいじゃない?)
「アメリカではいるのが普通だから、皆になんて説明すればいいの?」(まぁ、コレはわかるけどね。でもさー、こういうところが異文化結婚なんでしょ。それくらい説明してよ。。。)
ってな感じでした。

私の友人も、今のところ1人は確実に参列してくれるようなので、絶対できないというわけではないのですが、1人でもやるのでしょうか?少なくとも3人くらいなイメージなのですが。

結局、「私達の間に、何も『普通』なことはないよね。文化が違うんだから」ということで、なんとなくお互い納得したのですが、私も頑なにやりたくないと思っているわけではないので、参列してくれる人数次第になりそうです。あー、面倒くさい(・・・というのが正直なところ)。

みなさんの結婚式は、ブライズメイドはいらっしゃいましたか?

2012年6月3日日曜日

温泉大好き

少し前になりますが、父の還暦のお祝いで、両親と私達夫婦で温泉旅行に行きました。

夫婦でよく私の実家には帰っているものの、4人で旅行は初めて。でも、とてもリラックスした、思い出深い旅になりました。今回は、ちょっと奮発していいお宿。着いたときは「本当に大丈夫?」と心配していたうちの両親でしたが、おいしいお料理と、風情のある温泉で、満足してくれたようです。父は、お決まりの赤いちゃんちゃんこを無理やり着せられたときは、少し嫌そうでしたけどね。とっても楽しい旅でした。

夫はアメリカ人なのですが、温泉がとても好きです。日本で初めて温泉に行ったときは、私が気を遣って、貸切風呂に入れる旅館にしました。しかし、そこで夫、「もっと大きなお風呂に入りたい。」と自ら旅館の大浴場へ。中に入っていた年配の男性とおしゃべりを楽しみ(どう会話したのかは知りませんが・・・)、大満足でした。さらに、次の日には温泉町の大衆浴場へも出かけていきました。どうやら、知らない人と裸でお風呂に入ることの恥ずかしさは無いようです。

それどころか、夫は私以上に長風呂で、時間をかけて温泉を楽しみます。つい最近、友人と夫の3人で近所のスーパー銭湯に行ったのですが、私がうっかり友達と喋りすぎて長湯をしてしまい、「まずいなー」と思いながら外に出てみると、そこに夫の姿はなく。。。10分後に現れた夫は、「あー、ごめんごめん、お風呂の後に牛乳飲んでた。」って。1時間以上の長湯をした上に牛乳?!完全に日本のおっさん路線です。

とは言え、私も温泉が大好きなので、温泉旅行や銭湯に一緒に行けるのは嬉しい限りです。今回の旅も、父親のために企画しましたが、夫も喜んでくれていたので、嬉しかったです。

でも夫、やっぱり大衆浴場では、視線を感じるそうで。「なんか、見ないようにしようとしながら、こっそりじろじろ見られる」と申しておりました。まあ、興味津々になる気持ちはわかりますけどね。私も金髪の女性がさーっと入ってきたら、同じように見てしまいそうですもん。※夫は金髪ではありませんが。

ちなみに、行ったのは、さるぼぼで有名なこちら。金色もあるのですねー、知らなかった!穏やかで、とても良いところでしたよ。また行きたいです。

2012年6月2日土曜日

結婚式はハワイで

仕事、子供・・・とうだうだ悩み続けて、これといった行動もできずに数ヶ月。夫の「それでも教会で結婚式を挙げるのは、(自分や家族にとって)大切なことです。」の一言で、3年越しの結婚式をすることに決めました。

で、気持ちを決めてからの行動は早く、あっという間に場所と日程が決まりましたー!こんなことなら、もっと早く決断すれば良かったです。

結婚式は、ハワイでします。

場所は、色々悩みました。もともと、ハワイで結婚式をするのが漠然とした夢だったのですが、夫の故郷か、日本という案も、選択肢としてはあったからです。

まず、故郷を離れている夫ですから、アメリカでするのが親孝行かなーという思いがありました。しかし、日本から行くには交通の便が悪すぎる(飛行機の直行便なし、着いてからも車がないと何もできない)のと、私が準備にほとんど関われなさそうなので、選択肢からはずしました。

次に、日本。私の親戚で、海外旅行が難しい人がいるため、日本でするのもいいな、という思いもありました(夫の家族は日本でもOKとのことだったので)。しかし、結婚4年目の結婚式・・・あまり盛大にやりたくなく、日本で行うと小さくまとめるのが難しそう。また、アメリカからのゲスト全員を私達二人でアテンドするのは、かなり気疲れしそう。

というわけで、最終的に、初志貫徹のハワイで決定しました。

ハワイと決まったら、教会探し。なのですが、夫の宗派の教会はオアフ島に一つしかなく、これはあっという間に決定。レセプション会場はよくわからなかったので、早速プロデュース会社に連絡をとりました。

普通はいくつかの会社にコンタクトを取り、見積もりを見比べて検討・・・というプロセスなのだと思いますが、初めて相談をした所の提案がとても的確で、予算とも見合っていて、日取りも迫っているし・・・ということで、あっさり一回目ですべてが決定しました。

実は私、結婚式はもういいや、なんて言っていた割に、以前は結婚式をしたいなー、とずっと考えていたので、色々とシミュレーションしていたのです。教会はここ、レセプションはこんな感じ、プロデュースを頼むならこういう所かしら、というのをずっとイメージしていて、実際に相談してみたら、私のイメージと合っていたので、決めてしまいました。

と言っても、決めたのは場所と時間だけ。これから、中身の話を考えなくては。でもいつになく浮かれポンチな二人。そう言えば、私達の新婚生活にこの手のウキウキはなかったもんなー。。。

ということで、しばらくは浮かれた記事が登場するかもしれませんが、ご容赦ください。いや、そのうち揉めたりするのかもしれませんが。

2012年6月1日金曜日

夫の好きな髪型

先日のことなのですが、出かけようとする私に、しきりに「今日カワイイねー」と言ってくる夫。
いつもはファッションに無頓着なので、なんでそんなこと言うのかなー、と思っていたら、どうやら私の髪型が気に入っているらしい。

そこで初めてピンときた、夫の髪型の好み。

ちょっと前に、「わー、この子かわいい。」と言っていたのが、これ。
※ちなみに、夫は日本のいわゆる「カワイイ」系の女の子が好きではなく、若い女性タレントを褒めることはほとんどありません。
某SBのCMの上戸彩さん。(※画像は、お借りしました。)ローマの休日風。

そして、褒められたときの私の髪型というのが、髪の毛を二つに編みこんで、頭の下のほうでお団子にまとめたスタイルでした。どうも、クラシックなまとめ髪が好きらしいです。

しかし、夫がクラシックな髪型が好きな理由は、彼女なのです。(※画像はお借りしました。)
そう、STAR WARSのプリンセスレイア!「今日カワイイねー。」があまりにもしつこいので、理由を尋ねると、「・・・だって、プリンセスレイアっぽい」と、(一応恥ずかしそうに)言う夫。

恥ずかしながら、レイアと言われてもわからなかった私は、思わずググってしまいましたよ。なるほどねー、クラシックな髪型が好きな理由はここにあったわけだ。「ははは」と笑う私に、夫は「Because I loved her!」ですと。Loveって!

70年代生まれの男性って、スターウォーズ好き(というか、レイアLOVE?)多いですよね。結婚式は、レイアヘアにしようかな・・・って、いや、たぶんしませんけど。

2012年5月15日火曜日

三十路の悩み

ちょっとご無沙汰してしまいました。気付けば、この5月で、ブログを始めて一年経ちました!
もともと飽きっぽい性格なのですが、皆さんのアクセスがあったり、コメントを頂いたりするのが嬉しくて、ここまで続けて来られました。ぼちぼちですが、これからも書いていきますので、よろしくお願いします。

さて、ここ最近ブログから遠ざかっていたのは、実は色々と悩んでいたからなんです。私もついに「三十路女の壁」にぶつかっているなー、なんて。

と言うのも、夫の仕事が一応決まり、私達もやっと、将来のことについて話すことができるようになりました。そして、結婚式についてもそうなんですが、そろそろ子供も欲しいね、ということも話すようになりました。

が、タイミングの悪いことに、私は仕事で大スランプ中。

私には、結婚して子供ができたら仕事を辞めるという選択肢が、残念ながらありません。夫の仕事は不安定ですし、共働きでなるべくリスクを減らすのが、私達の生きる術だと思っています。ただ、私はいわゆる「バリバリのキャリアウーマン」タイプではありません。普通のことを、努力して普通にこなすのが精一杯の、良くも悪くも目立たない存在と言えば、なんとなくイメージがつきますでしょうか。

というわけで、今の状態から産休でキャリアに数年の間が開いて、本当に一生働いていけるの?ということを、心配しているのです。スランプに陥った理由は明確にあるのですが、そういううまくいかないことも含めて、もうちょっと昇進してからの方が安心じゃない?とか、子供を産んだら転職は難しそうだから、変えるなら今だよ?とか、でも転職しちゃったらまたしばらく働かないとね、とか。。。

結局、子供は年齢制限のあることだから、キャリアの事(しかもどうなるかもわからないこと)を心配するのはやめよう(子作り優先)、という結論に至りましたが、こういうのは本当に、女性特有の悩みですよね。

そして、そうと決まれば善は急げだから、もう結婚式はいいや、と思い始めた私(すみません、極端な性格で)。さっそく夫に提案してみると、「教会で結婚式を挙げるのは、自分にとっても家族にとってもとても大事なことなんだ。」とマジメに言われました。ああ、そうですか。。。夫に結婚式がしたいと懇願されるなんて、私達はどこまでも男女逆転です。

と、いうわけで、数ヶ月間色々悩んで行動できなかった私ですが(これが一番だめなことですよね・・・)、これからすぱっと覚悟を決めて、まずは結婚式に取り組んでいきます!

最近夫とのエピソードもマンネリ化してきていたので(笑)ブログ的には書くことが増えてちょうど良いかもしれませんね。

2012年4月15日日曜日

やっと半分

夫が4月から、フルタイムで働くことになりました。扱いは正社員ではなく契約社員なので、アルバイトとどこまで違うのか・・・ですが、とりあえずはフルタイムのお仕事。やっと半分まで来たという感じです。

会社専属の英語講師になったので、これからは社会人相手に英語を教えることになります。英語学校ではないので、後々は英語講師以外のこともするようですが、そのあたりはまだよくわかっていません。

このブログ、「外国人の仕事が決まらない」関連の検索でたどり着いてくださる方が多いので、役立つことが書けるといいなーと思ったのですが、結局夫の場合、ハローワークや人材紹介などの就職活動では定期的な仕事には結びつかず、最終的には知り合いのコネで仕事が決まった感じになりました。仕事がもらえる具合で言うと、「ハローワーク < 人材紹介会社 < コネ」ですね(こう書くと悲しいものがありますが)。

1)ハローワーク
以前の記事(こちら)で詳しく書きましたが、投資した時間の割に、あまり身になる紹介はしてもらえませんでした。面接までたどり着いたのが一社くらいですかね。英語教師のアルバイトであれば、もう少し役に立つ紹介をしてもらえたのかもしれませんが、なぜかあちらが夫の前職にこだわり、あまり紹介はしてもらえませんでした(基本的に、担当の方とは日本語で話すので、夫と職員の方とのコミュニケーションがうまくいかなかっただけかもしれませんが)。

2)人材紹介会社
夫は、外資系の人材紹介会社にいくつか登録していました。これは、自分で企業に直接応募するよりも面接→採用までたどり着く可能性が高く、(残念ながら就職までは至らなかったものの)役に立った就職活動でした。外資系の人材紹介会社に登録していたので、担当の方とは英語で、細かいところまで話せるのも良かったです。

夫の場合、正社員のオファーはなかなか紹介されず、ほとんどが短期(数ヶ月単位)の派遣ポジションでした。ただ、短期派遣で何ヶ月か働いたあと、タイミングが合えば年単位の長期派遣、その後うまく行けば正社員という風に進めそうな仕事もいくつかあったので(夫は残念ながら長期派遣の面接でダメになってしまいましたが)、根気良く続けていれば、仕事につながりそうな気がしました。

ここで紹介してもらった数々の会社で就職が決まらなかったのは、主に夫の日本語能力が低かったからかなーと思っています。いくら外資系企業のお仕事でも、一緒に働く人もお客さんも、半分は日本人なのですから、日本語能力は必要です。面接も、英語と日本語と両方でというパターンが多かったようです。

3)コネ
これは、知り合いにひたすら、「仕事を探しています」と言うだけです。地道な努力ですが、中身を具体的に話せば、運も開けていくのかなー、と思いました。欲を言えば、夫の方でもう少し外国人ネットワークがあれば良かったのですが、夫のように無職の人は、「仕事をしている外国人」と知り合うのが難しかったように思います。日本語学校には平日昼間に通っていたので、そこで会うのは、学生か奥様か、という感じだったのです。私も、同僚に外国人はいなかったです。そこができていれば、もう少し早く決まっていたのかもしれません。

先日、仕事を始める夫に、改めて「ありがとう」と言われました。「強くいてくれて、ありがとう」と。いつも、他の人に私の好きなところを聞かれたとき、「一緒に旅行とか、何かするのが楽しい」と言う夫。いや、それ別に夫婦でなくてもいいじゃん、、、と密かにがっかりしていたのですが、このときは夫が、「日本で、夫が働いてなくて、妻が養っているという状況が、どれだけ奇異の目で見られて、やりにくいことかわかっていた。それでも、stay strongで、根気よく応援してくれて、どうもありがとう。」と言いました。

「うん、まだゴールじゃないけどね。」と心の中で思いつつも、ちゃんと気持ちは伝わっていたんだなーと、嬉しくなった夜でした。

まだ道半ばですが、これからも二人で頑張ります。

※仕事が決まらないシリーズは、こちらにまとめています。

2012年4月14日土曜日

桜の木の下で

先週末は、お花見日和でしたね。
私達も、毎年恒例となった公園までお花見に行きました。

そして見事な桜を愛でながら、、、、、ケンカをしてしまいました。挙句の果てに、さようならーと、バラバラに帰宅。最近あまりケンカをしなくなっていたのですが、やっぱり私達の関係の本質はここ(ケンカ)にあるようで。。。残念な週末でした。

もめた原因は、夫の趣味。

私の夫は、趣味がいくつかあるのですが、それに対する「こだわり」が半端ないのです。その趣味のひとつが写真。なので、今回のお花見でももちろん、「写真を撮るぞー」と息巻いていました。

私、夫のこの趣味があまり好きではないのです。なぜなら、一緒に出かけても、写真を撮るのに一生懸命で、ちょっと冷めることがあるから。さらに、夫が好きなのは風景のポートレートで、人を撮らないため、私にしてみたら、二人の思い出にもならない代物なのです。私はもちろん思い出の写真は欲しいので、私達が出かけるときは、私が家族の思い出写真担当で、夫は好きな写真を撮っている、という感じでした。

先週私達が行ったのは桜の名所で、びっくりするほどの賑わいでした。夫がめずらしく、「二人で写真を撮ろうよ」と言ってきたので、いいねー、と賛同したものの、「夫のベストスポット」を探すのに一苦労。私も飽き飽きしてしまって、投げやりになってきました。そして、夫がやっと見つけてきたスポットには、これまたありえないほどの人だかり・・・。

イライラして私、「あんなに人が多いところは嫌だ。別のところを探そう。」と夫に言いました。だって、写真を撮りに来たのじゃないですもん、桜を見に来たのですもん。ここまでだって、写真を撮るために散々不要に歩き回っているのに。

まあ、ここまではよくあるやり取りなのですが。。。写真のこととなるとこだわりのある夫は、私の態度にプッツン切れまして。色々とすごーく嫌なことを言われました(思い出すのも嫌ですが)。そして、私も黙っている性格でもないので、「あんた、何様のつもり?!」・・・となって、バラバラ帰宅となったのでした。

今回のことで、夫は「こだわりのあるもの」について思い通りに行かないことがあると、短気になるのだなー、と気づきました。もともと気が長い方ではないのですが、プッツンスイッチは「こだわり」なんだな、と。

とは言え、私の周りには穏やかな人しかいませんし、「切れる」なんて到底受け入れられません。しかも、結婚して3年でこれに気付くなんて(結婚当初はこんなことなかった?)、夫が私に対して気を緩めて感情的になりすぎている証拠だ!と思いました。夫は、その日のうちに謝ってきたのですが、なんかイマイチ論点がずれていて、話し合う気にならず、冷戦に突入してしまいました。

夫は、無視されるのが一番嫌いなので、冷戦にはならないように頑張っているのですが、今回は何か色々腑に落ちなくて。だいぶ後になってやっと、夫がこだわりがある事について切れやすいと思うということと、そういうことで切れるのはおかしいよ。家族だからと言って、感情のままに当り散らしていいわけではない(だから怒ったんだよ)、ということを伝えたのですが、ちゃんと伝わったかな。。。

桜はこんなにキレイなのに、大人になってまでくだらないケンカはしたくないですね。反省。

2012年3月31日土曜日

空耳アワー

久しぶりにディナーに行こうと思い、夫にレストランをリサーチしてもらっていたところ、夫が面白い表現を見つけてきました。

夫が見ていたのは、日本のレストランが紹介されている外国人用のサイト。表記は英語です。そして、あるレストランの地図の横に書いてあったフレーズが、これ。

Cheese no arc eye mark no restaurant on egg ice she must.

声に出して読んでみてください。ある「日本語のフレーズ」なんですけど、わかりますか?私は、最初夫に「これ見てー。」と言われたとき、「チーズの・・・何??」となってしまったんですけど。

正解は・・・

2012年3月28日水曜日

結婚制度のギモン

夫の収入が(低いながらも)安定してきたので、そろそろ結婚式をしようか、と思っています。

日本の生活が落ち着いてから結婚式をしようと思っていた私達。結局入籍から3年も経ってしまいましたが、やっぱり「人生の節目として式を挙げておきたい」と思うのと、夫家族の宗教的理由(教会で式を挙げて欲しい)からです。

今のところ、挙式の候補地のナンバー1は、ハワイ。高校生の時から私の憧れの場所だったことに加えて、何の縁かアメリカ人と結婚・・・日本とアメリカ本土のちょうど真ん中!ってことで、都合がいいのです。そういうわけで、雑誌やネットで色々と調べ始めたのですが、、、ふと結婚制度について、素朴な疑問が沸いてきました。

その疑問とは、「日本での婚姻(ビザの申請したことない人)は、どういう風にアメリカで認定されているの?」というもの。

そもそもは、夫が「ハワイでマリッジライセンスを取得しなきゃ」と言ってきたことでした。
私はすかさず、「マリッジライセンスなんて必要ないよ。日本での婚姻はアメリカでも認められるんだから(ここは、結婚するときに調べました)。アメリカでも法的に結婚したら、2回結婚することになっちゃう。」と返答。夫は、「そうなんだー。」とすぐに納得しました。

が、ここで疑問が。

日本で結婚し、日本に住んでいる私達。私はビザの申請もしていないため、アメリカ大使館に婚姻証明を提出したことがありません。こういう場合、夫がマリッジライセンスをアメリカで取得しようとしたら(ひいては結婚手続きまで)、できるんじゃないの?と。

私達が、積極的にアメリカの行政に婚姻証明をしない限り、アメリカで私達が結婚しているという情報はどこにもないような気がします。ということは、日本で結婚しながら、アメリカで他の人と結婚することが可能・・・?まさかねぇ。それとも、アメリカ大使館から婚姻要件具備証明書を取得したことで何かわかるようになっているのか、、、よくわかりません。

幸い、夫がアメリカで他の人と結婚したいわけでもないので、とりあえず私達はハワイでリーガルウェディングは必要ないってことで話をしているんですけど、この疑問の真相や、いかに。

蛇足ですが、リーガルウェディングでなくても、宗教的に「教会で式を挙げる」意味を成すのかどうかについても、少し心配しています。私は特定の信仰宗教がないので、こういう話に疎いのです。

ハワイは日本人に人気のウェディングスポットなので、宗派でない人にも結婚式をさせてくれる教会が多いようですが、「blessing」と呼ばれるお祝いの儀式で、法的な結婚式ではないようです。日本で入籍済みの私達も、おそらくそういう形式で行うことになると思うのですが、それが夫の家族の納得してくれるものだといいのですが。特に夫の祖母にとって、宗派の教会で式を挙げることが大事なようなので、気になります。

※結果的に法的な内容も含んでしまいましたが、私の素朴な疑問(答えは不明)について書いていますので、内容の正確さに責任は持てません。すみませんが、必要な情報は御自身で調べていただきますよう、お願いいたしますm(_ _)m

2012年3月20日火曜日

ジャンケン

私の夫は、英語の先生のアルバイトをしています。

生徒さんは、幼稚園から小学校までの小さな子供達。普段私達は、子供達と触れ合うことはない環境なので、色々と発見があるらしく、驚いたことなどをよく報告してくれます。

その中で面白かったのが、ジャンケンに関する子供達の態度の違い。

子供ですので、おもちゃや遊ぶ順番など、しょっちゅうケンカになるらしく、そこで万能なのが、「ジャンケン」だそうです。「ジャンケンをして決めると、驚くことに、みんな素直に結果に従うんだよねー。何でもジャンケンで決めちゃうよ。」と夫。

聞くとアメリカでは(少なくとも夫の経験では)、ジャンケンをして結果が出ても、そのあとも「でもでも」と自己主張が始まり、結果を素直に受け入れないそうです。だからジャンケンは、決して万能ではない。でも夫の学校の生徒さんは、ジャンケンで一度結果が出ると、みんなそれを受け入れて、ケンカが収まるのだとか。

確かに日本人って、「運命をありのままに受け入れる」という考えが、少なからず根本にある気がします(宗教や文化的な要因が関係しているのかな)。また、「責任の所在を明らかにしないことによって、全員が幸せになる」というのもよくあるパターンな気がします。このどちらも満たしているのが、実はジャンケンですよね。まぁ、そこまで大げさには考えないにしても、最終的に「ジャンケンで決めようぜ」というのは、大人になってからもよくあることです。

でも確かに、私と夫は、小さなことでもジャンケンで決めたことはないかもしれません。なんでも話し合いになってしまう。。。これは相手がアメリカ人だからではなく、夫婦だからかもしれませんが。

それにしても、夫の話を聞いて、こんなに小さな子供のときから、そういう(お国柄の?)違いが出るのって、面白いなーと思いました。

私は、もともと議論や衝突を避けたい性質があるため、アメリカでも、夫と話していても、意識して自己主張をしなければならず、とっても苦労します。もし、環境次第で「自然に自己主張」できる性格になれるんだったら、そうなりたかったなー、なんて。

2012年3月15日木曜日

一年。(2)

前回の続きです。前回の記事はこちら

私達はそれまで、何でも納得するまで話し合って解決してきました。育った環境が全く違う夫と結婚できると思ったのは、夫が、話し合いのできる相手だったからです。

しかし、この一連の出来事で、お互いが極限状態では、私達は冷静に話し合うこともできないし、それでいて、言わなくてもわかるほど通じてもいない、ということがわかりました。夫はやはり外国人で、信じるものや根底に流れているものが違うのだ、と思い知らされました。

夫の気持ちを理解して、すぐにでもアメリカに行けばよかったのかもしれません。でも、私にはそれができませんでした。夫には、「君は人生の優先順位を間違っている。命と社会的体裁とどちらが大切なんだ」と責められました。私が守りたかったのは社会的体裁だったのでしょうか。。。そう言われればそうなのかもしれません。でもあの時、自分だけ騒ぐのは何か違う気がしたし、自分なりに情報を集めて、自分の判断をしていました。それを、仕事人間と一言で片付けてしまった夫とは、感情的かもしれませんが、話はできないと思いました。

家に帰って夫と話すより、会社の同僚と不安に思うことを話す方がよっぽど気が休まるし、自分の考えが整理できました。その事実が、なんだかとても悲しかったです。

私の実家に帰った後も、夫ときちんと話し合うことはありませんでした。私は、結局パニックになった夫に押し切られた形で事が進んだことが納得できなかったし、夫は夫で思うところがあったのだと思います。それでも何度か話そうと試みましたが、結局お互い感情的になって、決裂しました。

こうして、私達の間では、震災、特に原発の話はタブーになりました。

もちろん、大切なことですので、お互い関心を持っています。ですが、二人で話し合って方向性を合わせようということができなくなりました。お互い個々人で考え、信じる道を進んでいくという感じです。そしてその道は、交われば交わるし、違えば平行線のままです。時々話には上りますが、お互い深い話はしないようにしている感じです。

本当は、理性を失うような重大な出来事の下でこそ、話し合って同じ方向を向いていける夫婦になりたいのです。でも私達はそうではありませんでした。結局、分かり合えなかったことを見なかったフリをして、今に至っています。

私が、夫にわかってもらいたかったのはなんだったのだろう、と考えると、今でもよくわかりません。それは、論理的でない国民感情なのかもしれません。そうだとすれば、きっと夫には一生わからないと思います。

震災から一年、様々な報道で改めて震災のことを考える日々でしたが、横で同じものを見聞きしているはずの夫とは、(この件に関しては)今でもどうしても距離を感じずにはいられません。

2012年3月14日水曜日

一年。(1)

あの震災から一年が経ちました。

震災について書くのは、迷いがあります。私は首都圏にいたものの、大きな被害はありませんでしたし、家族も被災地から遠く離れていて無事でした。あの日を境にすべてが変わってしまった人々に比べたら、つらいとは言えないからです。

ただ、個人的な目線で見ると、この震災は私にとって大きな出来事でした。外国人の夫のそばで、答えのない問題を突きつけられて、とてもつらかったのです。正直、今でも気持ちの整理はついていません。でも当時、同じように国際結婚をされている方のブログを読んで、「自分だけではなかった」と救われた気持ちになったことと、またこの先、いつか自分の気持ちの整理がつくことを願って、今思うことを書いておこうと思います。

※被災された方々への想いは、記事とは別に私の中にあるので、敢えて触れません。ここは自己中心的な内容になってしまいますが、趣旨をご理解いただければと思います。

地震が起きた当初、夫は初めての経験に戸惑っていたものの、とても冷静でした。当日こそお互い家には帰れませんでしたが(地震が起こったのは金曜日でした)、週末は「気持ちを落ち着けて、頑張って行こうね」というような話をしたのを覚えています。

風向きが怪しくなったのは、週が明けてからです。原発のニュースが、報道されるようになりました。

夫は、当時日本語学校に行っていましたが、地震により休校となり、ずっと家にいました。一方で私は、会社が休みになることはなく、通常通り出勤していました。

毎日家に一人で、することもなかった夫は、様々なニュースを読み漁っていたのだと思います。日が経つにつれて、ここに留まる不安を口にするようになりました。夫の友達はほとんどが帰国し、アメリカ大使館も日本に残ることへの注意を促していました。

私は、夫の不安を無視したわけではありません。ただ、自分も言いようのない不安に襲われて、夫の話を聞く余裕がありませんでした。夫の話は余計な不安を煽るような内容にしか聞こえませんでしたし、私は夫に、もっと気持ちを落ち着けてくれるような、そんな言葉を発してくれるのを期待していたのだと思います。

毎日言い争いでした。でも結局、お互いどこか踏み込めず、不安な気持ちを消化しきれないまま、まともな話し合いにはなりませんでした。

実は私たち、その次の週に一週間休暇を取って外国に行く予定でした。ですので、原発のことがあって、毎日ケンカ状態でも、「この一週間さえ乗り切ればなんとかなる」という思いが(少なくとも私の中には)ありました。

しかし、夫は木曜日に爆発しました。私が家に帰ると、「もうここにはいられない!」とパニック状態になっていました。私がこんな状態で仕事に行っているのを「バカな仕事人間だ」となじり、日本人はバカだとののしり、とにかく色々、否定されました。

私は正直、身の危険を感じました。そして、とりあえずここから離れないと夫はおさまらないと思いました。そして、金曜日に会社を早退し、私の両親の家に行くことを決めました。そのあと、土曜日に乗るはずだった飛行機とホテルをキャンセルしました。

それを決めて夫は落ち着きましたが、私にはなんとも言えない悲しい気持ちが、残りました。

長くなったので、(2)へ続きます。

2012年3月4日日曜日

東京マラソン2012

先週の日曜日は、東京マラソンでした。実は夫が、今年の東京マラソンを走ったのです!

中高時代は陸上部で、今でも走るのが好きな夫。2日に一度のランニングが習慣です。ちなみに、私もうっかり一緒にランニングをしようものなら、悲劇が起きます。。。(詳しくは、こちら。)

そういうわけで、来日してからずっと、「東京マラソンを走ってみたいなー」と言っていました。

しかし、東京マラソンは知っての通り、大人気のマラソン。参加は抽選で、その倍率は実に10倍以上(らしい)。一昨年初めて応募したときは、当たり前のように抽選に漏れました。でも、今年は当選したのです。

抽選に漏れた一昨年、当たらなかったことを人に話して言われたのが、「アメリカ(外国)の住所を書けば当たるよ」ということ。私は、「いやいや、厳選な抽選のはず。外国人枠なんてないでしょ」と半信半疑でした。しかし、複数の人に同じ事を言われたため、夫はすっかりその気で、昨年はアメリカの住所で応募しました。

で、結果、、、、当選!!うそーーん。

というわけで、念願の東京マラソンに参加できることとあいなりました。

普段走っているとは言っても、4-5キロですので、フルマラソンは未知の世界。普通ならしっかりトレーニングを積むべきなのでしょうが、なんやかんやで十分な練習はしないまま(いつもどおりのランニングのみ)、当日を迎えてしまいました。

新宿の受付で夫を見送ったあと、私は応援のため、コースをチェック。そこで初めてコースを見てびっくり。42キロってすごく長いのね。新宿から東京・銀座を通って浅草、豊洲を通ってゴールは東京ビックサイト。普段なら、電車で行ってもかなり遠い距離です。改めて夫が心配になる私。。。

応援専門の私は、とりあえずはスタート直後の地点で待ち、その後15キロ地点、35キロ地点、ゴール地点、と移動することにしました。スタート直後は人の山で(35000人以上いたみたいです)、夫を見つけるのは至難の業だったのですが、奇跡的に見つけて、大声で声をかけました。

そして結果ですが、、、、無事完走しました!!

15キロ地点では、まだまだ力強く走っていた夫も、35キロ地点ではなかなか現れず、待っていたら遠くからとぼとぼ歩いてやってきました。25キロで力尽き、全く走れなくなってしまったみたいです。実は、私の父もマラソンが趣味で、「35キロぐらいが一番しんどいんやー」と言っていたので、ぜひそのあたりの応援に行きたかったのです。が、35キロにたどり着く前にガス欠になってしまったみたいで。まあ、初めてだし、ペース配分を誤ったのでしょう。

ちなみに、ラストの1キロは力を振り絞って走ったらしいのですが、今度は私のほうが(人が多すぎて)間に合わず、ゴール地点に着いたときは、すでに夫はゴール済みでした。応援する方も練習が必要でした。。。

さらに、私の応援以外のミッションに「写真を撮る」というのがあったのですが、こちらも見事に失敗。応援で声をかけるのに必死になり、タイミングを逃したのがほとんどで、全く残念な写真になってしまいました。ゴール地点には、たくさんのカメラがいたので、どこかでよい写真が買えることを祈ります。。。

何はともあれ、夫を始め、走る選手達の爽快な笑顔を見て、私も元気をもらえた良い一日でした!!

2012年2月18日土曜日

英語教師は安く買い叩かれる?

日本に来て、「英語教師」という未経験の境地に足を踏み入れた夫ですが、なんだかなーと思うことがあります。

それは・・・お給料が安いこと。
正しく言うと、お給料が安いのが嫌なのではなく、自分が安く買い叩かれている気がして、自尊心が傷つくこと、です。

現在、夫は定期的に英語の先生のアルバイトをしていますが、それ以前は、不定期で個人的に英語を教える家庭教師のようなことをしていました。サイトに登録して、個人的にアルバイト契約を行い、カフェ等で教える、それです。

もちろん、それだけではなかなか生徒さんも集まらないので、私の知り合いで英語を勉強したい人も、何人か紹介したりしました。

ところがこの方式、個人契約なので本当に何でもアリで。。。

レッスン一時間○○円、ということを明示して、合意の上で契約をしたはずなのに、いざレッスンを始めると、値切られたり、生徒さんの希望で2時間レッスンを行ったのに、1時間分しか支払われなかったり。

個人契約ですし、「なんでこんなに高いの?」と言われると、値段を下げざるを得なかったり、ましてや知り合いだと、無理な要望でもはっきり断れなかったりして、なんだかなー、と思うことも多々。それでも、生徒さんにはレッスンを続けて欲しいし、多少のサービスはのんで、やってきました。

でもそこまで頑張っても、突然連絡が来なくなって、自然消滅、、、というのが、レッスン終了のパターン。レッスンが気に入らなくなったのか、飽きただけなのか、真相はわかりませんが、とにかく数回の後、続かなくなる(きちんとした連絡無しに)というのが大体のパターンです。

もちろん、レッスンはお金を払っている側の自由だし、夫も収入のために続けざるを得ない部分もあったのでやっていましたが、値切られた上にドロンでは、少し悲しい思いをするのも事実です。※全員がそういうわけではないですが。

正直、定期的なアルバイトが決まったときは、「もうこういう思いをしなくてもいいんだー」と嬉しくなったものです。

また以前、夫は英語学校ではない別の会社から、英語教師のオファーをもらいました。今度はアルバイトではなく正社員、将来性もある仕事、ということで、とても楽しみにしていました。

ところがこちらもふたを開けてみると、正社員のオファーではないことがわかりました。その会社では、英語教師の正社員は必要ないので、待遇はアルバイト契約と同じ。そして、お給料は今のアルバイトで稼いでいる(よりも少ない)ものでした。交渉もしようにも、英語教師としてのポジションでは、これ以上の価値はつけられない、ということでした。

こちらの方は、楽しみにしていた分、がっかりの気持ちが大きかったです。英語教師にはこれだけの待遇しか用意できません、とはっきり言われてしまったので。この仕事には、将来性がないのかしら、と不安になりました。

私達は、とにかく夫が安定的に働ける仕事を探していて、基本的にオファーがあれば選択の余地はありません。安定的な職に就くまでに、何もしないよりも少しでも経験をしておいた方がいいし、無収入よりも少しでも収入があったほうがいいからです。

全く無職のときから比べれば、ずいぶん状況は良くなっているのですが、足元を見られがちな就職の交渉に、ちょっと気がめいる時があります。特に、英語教師は、「えー」っていう待遇を提示されることが多いからです。
※夫の場合は、日本に来て未経験からこの仕事を始めたからだと思います。もともとプロとして英語の先生をされている方は、また違うのだろうと思います。誤解を招いたら、すみません。

やっぱり英語教師ではなく、経験ありの専門職として就職できるのが一番気持ちが楽なんだけどなー。正社員への道は、まだまだ遠そうです。

※仕事が決まらないシリーズは、こちらにまとめています。

2012年2月4日土曜日

I love youと言われたとき

夫はよく「I love you」と言います。夜寝るとき、朝出かけるとき、電話を切るとき、その他そういう思いが高まったとき、いつでも「I love you」と言ってきます。

そして、私が約8年、夫との交際期間も含めてずっと克服できていないこと。それは、この「I love you」に正しく(?)答えることです。私は「I love you」と言えない女なのです。。。

誤解のないように言うと、私は夫のことを愛していないわけではありません。ケンカをして、I love youとは言いがたい気分に陥るときもありますが、基本的に、夫のことはI love youです。

では、なぜ言えないのか。

結局、恥ずかしいんですよね。そもそも、自分の気持ちをそう何度も言葉に出して表現することに、私は慣れていません。加えて、母国語ではない英語で、このような「感情」を表現するというのは、私にとっては難しいのです。(でも、日本語で「好き」と言ってるわけでもないので、英語だから言えないというのも言い訳がましいですが。)

夫と家族のやり取りを見ていると、「I love you」「I love you too」のやり取りが普通。
私達の場合はと言うと、私が「うん」とか「I know」とか言って、流しちゃう・・・。他の人からすると、かなり非難されそうな対応です。ごめんなさい!

夫は、結婚して初めのころこそ、「一体自分のことをどう思っているのか」と何度も聞いてきたのですが、今は私の対応に文句を言うこともなく、そのままです。あきらめたのか、言葉に出さずとも気持ちがあることがわかったのか、それはわかりません。

というわけで、あまり疑問に思わずそのままきたのですが、最近ふと、本当に突然、「私のこの行動ってかなり失礼?」という考えが沸いてきました(遅い??)。夫は、アメリカ人のくせに(?)不満に思っていることを自分の中にとどめる癖があり、このことに関しても、大いに不満に思っている可能性はあります。今さら怖くて聞けませんが。

恥ずかしいとは言っても、本当に愛しているのなら、I love youに答えない必要はないわけで、勇気を出して声に出さなくては!と、やっと最近、思ったのでした。

でも、できるでしょうか・・・。「思っていても好きとは言わない」なんて、超古典的日本男児(?)みたいですね、私。

2012年1月31日火曜日

夫の長電話

私の夫は、アメリカの家族や友人と話す時間がかなーり長いです。

ツールは、Skypeだったり、SNSのビデオチャット機能だったり色々ですが、おしゃべりが一旦始まると、とにかく長い。

平日に話し出すと、平均2時間。週末だと、3時間以上話すこともざら。
そして驚いたことに、平日か週末、必ず週一回は喋ります。

国を離れて寂しい・・・っていうのはわかるんです。でも、そんなに毎週毎週何時間も話すことありますかね?

そもそも、同じ部屋にいる人が、ずーっと別の人と話しているというのは、いい気分がしない私。時間が短ければ気になりませんが、「平均数時間」ですから。

夫がアルバイトを始める前は、「私が家にいない時間に電話してよー」と言えたのですが、最近は夫も仕事があるので、空き時間が私と同じ平日の夜か、週末。

平日家に帰って、夫がPCに向かって大きな声で喋っているのが聞こえると、がっくり。私は静かにゆっくりしたいのに。そりゃあ、私も知っている人なら「Hi」くらいは言いますけど、そんなに毎週喋ることなんてございません。

週末も、朝起きたら夫がすでに誰かとチャット中、ということもしょっちゅうで、いつ終わるかいつ終わるか・・・と思いながら3時間!しかも、「~ながら」が好きな夫(ちなみに、私はこれが大嫌いです)、週末は、溜まった家事を分担しているのですが、朝ごはんを作りながら、洗濯をしながら、PCや電話を持ち歩いてチャットチャット・・・。

うーっとおしい!!!!

とキレたことは、実は何回もあるのですが、夫が譲歩したのは、「今から○○と喋るけどいい?」と「一応」許可を得るようになったこと。夫いわく、「両親としばらく喋ってない」「○○とはしばらく喋ってない」という理由なんですが、夫の「しばらく(for a while)」って、一週間以内。恋人かー!!

というわけで、この問題に関しては、二人の感覚が違いすぎて、全く解決の糸口が見つかりません。私がアメリカに住んだとしても、両親と毎週2時間以上チャットなんて絶対にしないし、毎週3時間もおしゃべりしてくれるヒマな友達もいません。・・・うーーん、分かり合えない。

我が家の場合、部屋の構造も問題なんです。私達のアパートは、一応リビングと書斎は分かれているものの、実際はぶち抜きの一部屋の構造になっていて、お互いが何をやっているか筒抜けなんです。ちゃんと部屋が分かれていて、夫は書斎でチャット、私はリビングでひと休み、とかなら長電話も気にならない気がします。

お互いイライラしない、いい方法があるといいんですが・・・それとも、私が神経質すぎ?

2012年1月22日日曜日

練り香水

以前の記事でも書きましたが、私は、香りモノが好きです。

昔は香水も大好きで、色々集めいていました。でも歳をとるにつれて(?)強い香りが苦手になってきました。長持ちするものは、つけ始めの香りがきつすぎるし、ボディーローションだと、香りが飛ぶのがちょっと早い。

そこで最近出会ったのが、練り香水(solid perfume)。

香りがあまり広がらないので、つけた直後から「自分しかわからないんじゃないかな」というくらい控えめな香りで、それでいて、香水なので香りは長持ちします。

以前は、どちらかというと人のために香水をつけていたのですが、最近はもっぱら自分のために。

人に「良い香りだな」と思ってもらうよりは、自分の気持ちを落ち着かせる(ハッピーにする)ためにつけています。だから、香りが控えめで、長持ちする練り香水はぴったりなんです。しかも、つけるときに香りが広がらないので、リタッチも人を気にせずできますしね(オフィスの自席でもOK)。

私が気に入っているのは、この二つ。
LUSHのLUSTソリッドフレグランスと、ロクシタンのジャスミングリーンティソリッドパフュームです。
※写真はHPよりお借りしました。ロクシタンの方は限定の香りみたいで、HPには載ってなかったです(楽天にリンクします)。
気づいたら、どちらもジャスミン系の香りですね。LUSHは、しっかりジャスミンで攻める感じ。ロクシタンは、ジャスミンよりもグリーンティの方が強くて、リラックスする感じの香りです。

そう言えば、LUSHでこれを買ったとき、「ジャスミンは男性を悩殺する香りなんですよ~」と、自分より5歳は若そうな店員さんに言われて、ちょっと恥ずかしかった記憶が・・・。そんなに飢えてるように見えたのかな。※HPで商品コンセプトを読んだら、「官能的でセクシー、挑発的で時にエロティック」だそうです。知らなかった、恥ずかしい。。

・・・・・・

話は変わりますが、私の夫は香水をつけません。付き合い始めの頃、いつもいいにおいがするので、香水をつけているのかなーと思っていたのですが、夫がつけていたのはこちらでした。
アメリカでは定番の、男性用の固形デオドラント!日本のデオドラントと比べると香りは強いですが、近づいたら香るくらいなので、私はこれも結構好きです。

日本に来てから日本のデオドラントスプレーも試してみたのですが、汗かきの夫には、どうも威力が足りないらしい。なんと3年間、ずっと義母から空輸してもらっているという。。。このタイプ、日本では見かけないんですよね。

あまり国際結婚とは関係のない記事になってしまいましたが、、、練り香水、興味があればお試しください☆

2012年1月21日土曜日

セレブの離婚理由

先日、日本の某有名歌手がオーストリア人の旦那様と離婚されましたね。

一般人の私は、「電撃婚して1年で離婚かー!」と、他のゴシップ同様斜め読み。。。していたのですが、一部、彼女のコメントに共感するものがありました。

言葉は覚えてないのですが、離婚理由が「当初アメリカに二人で住む約束だったのに、日本への思いが大きくなり、アメリカに住むことが考えられなくなってしまった」というもの。

外国人と結婚すると、「どこに住むか」というのは、必ず付いてくる問題です。

かく言う私も、夫との愛(!)のためにアメリカには行けなかったクチです(私達の出会いはアメリカだったので、私がアメリカに嫁ぐ方が自然だったとは思いますが)。
結婚前、アメリカに引っ越すか、夫をあきらめるか、となったら、夫をあきらめる事を取ったと思います。※理由はあったんですが。

なので、夫が「日本に住む」という決断をしてくれていなかったら、きっと今の二人はないだろうなー、と思うのです。

私が夫を日本に呼び寄せたせいで、日本での生活の責任のほとんどが自分に降りかかってきて、「あー、もうなんで私ばっかりこんな苦労を・・・」なんて愚痴はしょっちゅうなのですが、そもそも二人の日本での生活があるのは、夫の決断と行動力のおかげ、という感謝の気持ちも忘れてはいけないですね。

というわけで、セレブの離婚理由に、「わかる~」となってしまった私ですが。。。。

でも、もし今状況が変わって、私達がアメリカに住まなければいけなくなったら、きっと行くと思います。いざ結婚すると自覚が沸いてきたというか、もう後には引けないというか・・・夫婦は運命共同体ですからね。

それでも何かあるたびに、どこに住むかという大きな決断をしなくてはいけないのは、簡単なことではないし、色々な理由でそれが不可能なこともあるし、そのせいで二人の関係が壊れてしまうということもあるよなー、と思います。外国人と結婚すると、こういうところは難しいですね。

2012年1月13日金曜日

名前を書く-年賀状-

年末はアメリカにいたため、今年は年賀状を書く間もなくお正月が過ぎてしまいました。・・・もとい、アメリカに行かなくても、私は今まで年賀状を出す習慣がほとんどありませんでした。

というわけで例年のごとく、頂いた賀状には「寒中見舞い」で返信を出すことにして、あらためてもらったハガキを見ていると、気づいたことがありました。ほとんどが、差出人欄に、家族メンバー全員の名前を書いているのです。夫婦両方の名前とか、中には、お子さんも一緒なものも。

そうか、夫婦でお世話になっている人もいるし、私も今年は夫婦連名で出してみよう。と思いついて、さっそく夫婦の名前を書いた寒中見舞いを作成・・・しようと思って、ふと、「私達夫婦って、どうやって名前を書けばいいんだろう」という疑問がわきました。

今年の寒中見舞いは、縦書きにしたかった私。デザインの中に、差出人名も含めたかったので、私達の名前も縦書きになります。

  • 疑問その1
夫の名前は、アルファベット?カタカナ?
私は、カタカナで夫の名前を書くと、どうも本人の名前ではないような、若干の違和感を感じます。それは、自分の名前がアルファベットで書かれるのと同じ感じ。なので、最初は迷わずアルファベットで夫の名前をつづりました。

しかし、出来上がりを見て夫が一言、「なんか変」。

確かに、私の漢字名の横に突然のアルファベット。しかも縦書きなので、文字の上下が左右になっています。まぁ、変といえば変だね。
ということで、夫の名前はカタカナで書くことに決定。

  • 疑問その2
夫婦どちらの名前を先に書くの?
頂いたハガキのほとんどは、「山田 太郎 花子」のように、苗字の下(横)にまず夫の名前、次に妻の名前、でした。ただ、私達の名前はこれができません。夫婦別姓ですので(苗字については、こちらで書いています)。

なので、どちらもフルネームで、一行ずつ書く必要があります。
で、どちらの名前を先に書く?の疑問が・・・。もちろん、もらったハガキのほぼ全員、旦那さんの名前が先。私はフェミニストではありませんが、しかし、夫の名前を先に書くのはこれまた違和感がありました。なぜなら、私の友人、知人に出すハガキだから。最初に私ではないカタカナ名が並んでいたら、びっくりするのではないかなー、、、なんて。

というわけで、「世帯主の名前を先に書くことにする」と、自分によくわからない言い訳をしながら、私の名前、次に夫の名前(カタカナ)、で差出人名を作成したのでした。

まあ、他の人に比べたらちょっと変ですが、夫婦で挨拶のできる、妥当な寒中見舞いができました。

それにしても、夫婦別姓だとこういうときちょっと悲しいなぁ。なんというか、家族感がゼロです。。。来年は、もうちょっと早めに考えて、ちゃんと(違和感のない)年賀状を出そうっと。

2012年1月12日木曜日

3回目の結婚記念日

アメリカ滞在の間に、私達は三度目の結婚記念日を迎えました。

いえ、正確に言うと、ちょうど帰国日が結婚記念日となったため、よりによって結婚記念日は時差によってロストする日。。。
※夫の実家から日本に帰国すると、例えば1/3の朝に飛行機に乗っても、日本に着くのは1/4の夕方になります。

記念日にすごくこだわっているわけではないものの、なんだかなーってことで、少し早めにアメリカでお祝いすることにしました。久しぶりの、二人でディナーです。

行き先は、夫の実家近くのシーフードレストラン。
実はここ、私達が初めてデートをしたレストランでもあるのです。

私達、記念日とか思い出の場所とか、いわゆるロマンチックなことに疎いカップルなのですが、これは夫のナイスチョイスでした!

もう8年も前なのに、レストランは全く変わっておらず、入った瞬間「あー、ここだー。」と、ちょっと感動。不思議なことに、初めて来たときに座った席まで覚えてました。夫には言いませんでしたけど。

夫のことをもっと知りたくて、一言一言漏らさないように、一生懸命聞いていたあの頃。
嫌われないように、発する言葉をゆっくり選びながら話していたあの頃。
・・・正直、遠~い昔ですね。

でも、それから縁あって結婚し、もう3年経つんだなーと思うと、感慨深いものがあります。
一年目は、二人の生活に一生懸命であっという間に過ぎました。
二年目は、色々な大変さだけが身にしみて、「なんでこんな人と結婚したんだろう」と後悔の毎日でした(ひどい・・・けど事実)。
で、三年目のこの一年は、やっと二人の生活のリズムがわかってきて、ケンカも減ってきて、「夫婦」の感覚になってきました。

三年目はマンネリ化の年とも聞きますが、私達の場合、3年経って、やっと普通の夫婦になれたという感じです。まだまだこれから色々なことがあるんだろうなー。発展途上ですね。

さて、ディナーのお味ですが、予想以上においしかったです!

実は私の記憶では、そこまでおいしいレストランではなかったのです。ここが悪いというのではなく、アメリカのシーフードって、少し薄味じゃありませんか?塩気が足りないというか。。。当時も、味のないサーモンを一生懸命食べた覚えがありました。

ところが今回は、かなりおいしかったです!マグロのソテーを注文したのですが、焼き加減もソースもちょうど良い感じ。なんと、アメリカサイズの一皿を一人で完食してしまいました。もちろんお酒もプラスして、おいしいワインとシーフードの、とても良い記念日となりました。

夫のナイスチョイスのおかげで、デートしたての頃の気持ちを思い出すことができたので、少しは初心にかえって、夫の話もちゃんと聞こうと思います!・・・というのは冗談ですが、初心にかえってまた相手に恋をする(気分になる)、というのも、たまにはいいですね。

2012年1月8日日曜日

ショッピング(2)~夫編~

今回のアメリカ帰省で、夫も買いたいものがありました。それは、「靴」です。

あれ?と思った方、そうです。前回の記事に書いたように、夫婦そろってアメリカで靴が買いたかった、というわけなんです。ただし、理由は夫の方がもっと切実。

夫の足のサイズは、アメリカで11か11.5。日本で言うと29.5センチにあたるようですが、これがなかなか、日本で見つけるのが難しいのです。夫はフォーマルな靴を履く機会がないので、探しているのはスニーカーなのですが、それでもなかなかない。。。日本の普通の靴屋さんだと、「一番大きいサイズは10ですねー」といわれることがほとんどです。

仕方がないので、オンラインで決まったメーカーの靴(○ンバース)を買っていたのですが、実は靴底が浅く、よく歩く日本では不都合があるとのこと。もう少し歩行が楽な靴を、実際履いてみて探したい、というわけで、今回アメリカで靴を買おう!となったのでした。

アメリカでは難なく見つかるサイズ11。気に入ったスニーカー二足をお買い上げ~。
もっと買い込めばいいのに(人の買い物まで、気持ちが大きくなっている私。。。)、という私をよそに、夫は「気に入ったものがこれしかないのだからいい」と。そういうところは頑固な夫です。

ところで、買った二足のうち、一足はビビッドピンクのスニーカー。夫いわく、アメリカでは「ゲイ(男らしくない)」だけど、日本だと履いてもいいそうです。なんだ、そのルール??

買い物には、夫の男友達と私と3人で行ったのですが、私が「このピンクのスニーカーいいねー」と言うと、「そうだよね!僕もそう思ってたんだよね。ほら、言ったろ、日本ではOKなんだって!」とその友人に妙に言い訳がましく説明した上で、購入しようとする夫。前から思っていましたが、オシャレすると「ゲイ」になるなんて、アメリカ(もとい、夫)のセンスは良くわかりません。

さて、もうひとつ、夫がどうしても欲しかったものがあります。それは、シューズはシューズでも、ルームシューズ。

私達の部屋は冬はとても寒いため、夫はずっとモコモコのスリッパが欲しいと言っていました。が、夫サイズのスリッパも、日本では見つけられませんでした。一昨年の冬から、「アメリカ帰ったらスリッパ買うんだ」と呪文のように唱えていた夫。同じく、アメリカのスーパーで難なく夫サイズのルームシューズ(内側モコモコ)を発見し、お買い上げ~。

これがかなり快適なようで、「本当にスリッパを買ってよかった。本当に、、、これでどれだけ暖まるか。。。」と絶賛コメントを何度も聞かされました。そんなに欲しかったんだね、スリッパ。良かった良かった。

と言うわけで、夫婦そろって目的を達成でき、満足なショッピングとなりました。

ただ、ひとつ気になるのが、このスリッパ、本当に室内用なのかな?靴底が付いてるんですけど・・・。
※夫が言うには、「外に新聞くらいは取りに出られるような作りになってるんだよ」ですって。本当かな。

2012年1月7日土曜日

ショッピング(1)~妻編~

夫の実家に帰って、山ほどいる夫の親戚達と時間を過ごすということは、人見知りの私にとっては嬉しいものではありません。夫にとって大事な時間なので、もちろん帰省はしたいのですが、滞在中ずっと家族でまったり、ばかりだとちょっと気持ちが沈んでしまいます。

で、今回楽しみにしていたことのひとつがショッピング。

なんせこの円高です。私はアメリカで買い物するときは、「(円換算するのに)$に100を掛けてもうちょっと高いくらい」とアバウトな計算をしていたのですが、今回は「100を掛けてそれよりも(かなり)安い!」。俄然、気持ちが大きくなります。

さらに、前回帰省時はクリスマス翌日に帰国するスケジュールだったのに対し、今回はクリスマス翌日からのセールに参戦できる!というスケジュールだったので、気持ちも弾みます。

さて、今回私が買いたかったものは、「靴」です。

数年前、外反母趾と診断された私。外反母趾は良くなることはないということで、その時から「足にいい靴しか履かない!」と決めました。で、今は靴メーカーを色々試している感じなのですが、その中で気になっていたのが、danskoというブランド。

良さそうだなー、欲しいなー、と思いつつも、即決できるお値段ではなく、欲しいものリストに追加するだけ。で、今回アメリカに行くにあたり、ふと思い出して見てみると、これ、アメリカのメーカーじゃないですか。アメリカのサイトを見てみると、うん、、、日本より一万円以上安い!

早速、夫の実家の近くで売っているお店をリサーチし、渡米後二日目に靴屋さんへ。
残念ながら、欲しかったブーツは売っていなかったのですが、別のデザインの革靴を買いました。セールでもなんでもなかったのですが、日本と比べると格段に安いので満足満足。履き心地も上々です。

欲しかった大物をゲットできたので、これで自分の買い物は終わり。。。のはずだったのですが、円高とセールの雰囲気にのまれて、今回は本当に買い物三昧でした。せっかく節約生活しているのに、ごめんなさい、夫。でも、私の中で、何かが壊れてしまった・・・うん、こんなに頑張っているんだもの、買い物くらいしてもいいよね、、ってね。

そして、今回、買いすぎてしまった代表がキャンドル。
私は、香りのものが好きで、日本でもアロマオイルやキャンドルを集めて、お部屋で使うのが大好きです。ですので、アメリカに行くときはいつもいくつか買って帰るのですが、今回は、クリスマスセールで半額やら何やら連発!シーズナルな香りもたくさんあって、「クリスマスツリー」とか、「ウィンタースノー」とか、ステキな香りがたくさん。もう、鼻も金銭感覚も壊れて、気に入ったの全部買うー、となってしまいました。

そして帰国時、このキャンドルどか買いが悪夢となりました。
キャンドルって重いので、スーツケースに入れると即重量オーバー。仕方なく、手荷物のショルダーバッグにすべて詰め込むことに。想像してください、ろうの詰まった瓶詰めを十数個、ショルダーバッグに入れて持ち歩くことを・・・。かばんが壊れなくて良かったです。

実は他にも、大物小物合わせて、セールで色々買ってしまいました。が、これ以上書いても面白くないので、この辺でやめておきますね。やっちゃったなー、という気持ちもあるものの、日頃のストレスが発散できて、しばらくお買い物いいやーってなったので、今回はこれで良しとします!!

ツリーを買おう

夫の実家で私が一番好きなモノ、それはクリスマスツリーかもしれません。

私の実家では、私の膝丈くらいの小さなツリーがありましたが、それほど思い入れの強いものではありませんでした。私が大きくなるにつれて、次第に飾ることもなくなったくらいです。

それに比べて、夫の実家のツリーは、床から天井まで届くビッグサイズ。
しかし、そのサイズもさることながら、このツリーの最大のポイントは、飾られているオーナメントたちです。

まずは、兄弟の写真withサンタさん(モールで写真を撮ってくれるのです)。赤ちゃんから小学生くらいまでの思い出のサンタ写真が、それぞれ小さな額に入れられてオーナメントに。

次に、プリスクールやボーイスカウトで作った子供達の手作りオーナメント。もう30年も前の、紙製のものなのに、毎年キレイに飾られています。

そのほかには、それぞれの年に買い集めたオーナメントなど。1970年代の古いものから、最近のものまで色々です。義母曰く、今年買ったのは、息子達の大好きなPB&J(ピーナツバターとジャムのサンドイッチ)のオーナメント。意外とかわいかったです。

こういうのを見ると、クリスマスツリーはこの家族の歴史なんだなー、としみじみ。
ツリーを囲み、「このオーナメントは・・・」と、話も弾みます。

で、私達も感化されまして、クリスマスツリーを買うことに決めました!私達も、義父母のような家族の歴史を物語るツリーをこれから作っていきたいなー、なんて。

というわけで、木を買う前に、アメリカで少し、オーナメントの買い物をしました。

「クリスマスツリーを買うことに決めた」と話したら、義父母からもオーナメントをプレゼントしてもらいました。スーツケースに入りきらなかったので、後で郵送してもらうことにしましたが、かなり年代モノの球体(って言うんですか?丸いオーナメント)のセットまで。。。ありがたや。大切にしよう。

でもまだ、肝心のツリーを買っていません。季節をはずして買ったほうがいいよねー・・・
なんていってるうちに、またすぐクリスマスが来ちゃった、という事がないように気をつけます。

2012年1月6日金曜日

クリスマスの朝に

明けましておめでとうございます。自己満足なブログですが、今年もよろしくお付き合いください。さて、いきなり季節外れですみませんが、まだ帰省時のクリスマスの話を…。

夫の家族と過ごすクリスマスは二回目なのですが、今年のクリスマスは特別でした。夫の兄家族も同じ時期に義両親宅に滞在していたため、初めて子供(姪っ子)のいるクリスマスになったからです。

25日の朝もまだ明け切らぬ頃、私達は「Santa came!!」の声で起こされました。姪っ子が夫の足を揺さぶって起こしていたのです。

眠い頭のままリビングへ降りると、彼女宛のプレゼントと、サンタからの手紙が。その横には前の晩に用意した、サンタへの夜食...の食べかけ。

私達は24日の帰りが遅かったので知らなかったのですが、彼女はサンタに手紙を書き、サンタに為にミルクとクッキーとりんごとレタスを準備していたみたいです。サンタにゴハンを準備するなんて、私は小さい頃もしたことなかったんですけど、こちらでは定番なのかな。しかも全部食べかけ…完食しないルール?

ともかく、すごく喜んでいる彼女を見て、かわいいなーと思いました。サンタの来たクリスマスなんて、○十年ぶりです。なんだか、こちらまでワクワクしました。

私のプレゼントもツリーの下と靴下に入っており、ちゃっかり頂いてしまいました。まぁ、大人にもプレゼントをというのが義両親のルールだから、嬉しくいただきました。

ちなみに、憂鬱だと言っていたクリスマスギフトのショッピング (詳しくはこちら)、今年も頑張って行ったのですが…夫、親戚の数を数え間違えて結局プレゼントが足りない!という事態に。まぁ、子供の数が年々増えているので仕方ないかもしれませんが。

私もだいぶメンバーを覚えてきたので、来年こそは間違いのないようにしないと!